ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


旅の記憶 の記事一覧に戻る

秋の奥入瀬(池松 俊雄)2005年11月

記憶に残る旅はいろいろあるが、名湯の魅力が忘れがたく昨秋行った奥入瀬をご紹介することにする。

青森駅からJRバスで蔦温泉に向かう。このバスは紅葉真っ盛りの八甲田山の中腹を抜け奥入瀬渓流沿いに十和田湖まで走る人気路線で、終点の十和田湖までおよそ1時間30分である。

山道に入ると小雨が降り出す。八甲田山頂を歩く予定だったが霧が濃くなったため変更し、酸ヶ湯温泉で途中下車をする。

退職後は女房と旅をすることが多くなった。女房が運転、免許を持たない私がナビゲイター兼洗車係りで北海道半周旅行や、能登半島一周などもやった。

女房が本格的に運転を始めて10年、今まで無事故無違反を誇り運転技術は巧いほうだが、残念ながら方向音痴だ。その反対に私は免許はないが方向感覚には自信がある。だから二人が役割分担をして一人前というコンビである。大阪に転勤していた長男の社宅にも出かけて行った。

今回の旅は「二人の北東北フリーキップ」を購入したので、エリア内は4日間乗り放題である。男女二人のフリーキップというのがミソで人気があるようだ。特急、急行、普通、バスなどJRなら何回でも乗車できる。

さて、酸ヶ湯温泉は八甲田山麓の源泉の上に建つ木造の湯治場で、路線バスは門前の広場に停まる。

100年の歴史がある古びた旅館は800人収容という大きさで、なかでも「千人風呂」は昔から有名である。

周辺の山々は色鮮やかな黄色と赤の絨毯に変わり、雨に煙って美しい。私達は日帰り入浴料500円を払い旅館に上がる。玄関には靴箱からあふれ出た履物が並び、板張りの広い廊下には客がしゃがみ込んで休んでいる。脱衣所は男女に分かれているが中に入れば一緒になる。混浴とは知らなかった。女房は一瞬どうしようか迷ったが混浴に挑戦することになった。

脱衣所から出て階段を5~6段降りると大きな風呂が二つあり、正面奥の風呂が所謂「千人風呂」で10m×15m四方はありそうだ。

手前には少し小振りの浴槽、左手奥の打たせ湯からは四本の湯が滝のように流れ落ちている。湯煙が立ち込めているのでぼんやりとしか見えないが、大風呂の正面に小さな看板が立っていて「男」・「女」と書いてある。最初は意味が分からなかったが、左半分が男湯、右が女湯という仕切り線の印であった。およそその目安だから領海を侵しても咎められることはないようだ。

百年も続く混浴風呂だから、この大らかな伝統は何とも魅力的である。風呂は桧か樫の木をガッシリ組み合わせて作られていて、足の下から湯が湧き上がってくる。深さも大人の胸まであり実に気持ちがよい。

温泉好きの私は今までにいろんな温泉に入ったが、この酸ヶ湯の風呂は最高だ。普通の風呂は源泉からパイプを引いて湯を運ぶが、溢れ出る源泉の上に作られた風呂は初体験である。湯は硫黄泉で神経痛・リューマチ・胃腸病に効くと効能書きにあるが、いかにも良さそうだ。

湯船の淵に座り暫し体を冷やし、また風呂につかる。とにかく気持ちがいい。そういえばこの風呂には洗い場がない。蛇口もなければ石鹸も置いてない。

出口の隅に冷水の蛇口が数本あり、また注意書きがある。「折角の硫黄泉だから、洗い落とさないでお帰りください」…納得である。

結構な「千人風呂」をいただいた後、同じ山伝いにある「ホテル八甲田」で昼食を食べることにする。酸ヶ湯のフロントに頼めばシャトル・バスが迎えに来る。ホテル八甲田はログハウス作りの最高級ホテルで、今回の旅行でも宿泊を考えたが値段を聞いて止めてしまった。ちなみに一人一泊28.000円である。

フロントを入ると右側がレストランで太い木材を組み合わせた木肌が美しい。標高900mに建っているので、周囲の森は紅葉真っ盛りである。こんな美しいホテルに来たのだからと、赤ワインとフランス料理のコースをいただく。混浴の大浴場には昭和初期の風情が残り、5分ほど山に登ると豪華な高級ホテルという組み合わせがまことに絶妙である。

今晩泊まる蔦温泉は酸ヶ湯からJRバスで約20分の距離だ。その昔、歌人の大町桂月がこよなく愛したと言う山の中の一軒家である。山の斜面に沿ってしがみ付くように建つ木造旅館だ。

私達の部屋は最上階で山の急斜面に沿って作られた木の階段をひたすら登る。およそ50段はある。真ん中辺りに小さな踊り場がありそこで小休止。また登り始める。やっと登り終ったと思ったらそこは別棟の1階らしく、また更に2階まで登る。風呂に行くのも大変である。恥ずかしいが息が切れる。垂直に建つていると仮定すると多分4階か5階になるはずである。

「世の人の命をからむ蔦の山 湯のわく処水清きところ」と桂月が詠んだ歌碑が立てられている。桂月は土佐の人だったが八甲田の山に魅せられ、死ぬならこの場所と決め移り住んだと聞く。十和田湖を世に紹介するために尽力をした人であったようだ。蔦温泉の風呂は新旧3つあり時間で男と女風呂が入れ替わる。酸ヶ湯と同様足の下から湯が湧き上がってくるので極楽である。

翌朝は予報どおり秋晴れになる。JRバスで蔦温泉からロープウエイ駅に戻り、八甲田山頂に登る。100人乗りのゴンドラは満員の観光客を乗せ10分で1.200mの山頂に着く。

陸奥湾や青森市、遠くに浅虫温泉の夏泊半島が見える。昭和の初期、弘前連隊が冬の八甲田越えの訓練中吹雪のために100人の凍死者を出したのはこの山だ。いま考えても無謀な訓練と言わざるを得ない。

周遊券がこんなに便利だとは知らなかった。チケットを見せるだけでいい。私達はまたJRバスに乗り十和田湖に向かう。「石ケ戸」でバスを降りハイキングコースを歩く。

奥入瀬の紅葉には10日ほど早かったようだが、渓流沿いの小道をリュックを担いでひたすら歩くと直ぐに汗ばんでくる。奥入瀬の川は水量が豊富で澄みわたり見事な景観である。朽ちた大木が何本も倒れて流れを遮っているが、人工的に取り除く事はしないようだ。自然の生態系を残す保護管理が徹底して守られている。

奥入瀬の両側は岩山がそそり立ち、あちこちから滝が落ちている。水際にはシダやトクサが群生し植物園のようである。カメラを撮りながら約3キロの道を歩いた。

「雲井の滝」で再びJRバスに乗り終点・十和田湖の「休み茶屋」に到着した。この日は秋田県側にある「十和田プリンスホテル」に宿泊する。雄大な自然と溢れ出る温泉を満喫した私の最良の旅であった。(2005.11記)
前へ 2024年03月 次へ
25
26
27
28
29
2
3
4
5
9
10
11
12
16
17
20
23
24
30
31
1
2
3
4
5
6
ページのTOPへ