ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


旅の記憶 の記事一覧に戻る

トスカーナの天使(諏訪 正人)2005年9月

わざわざこの日にしたわけではないが、都合のつく最も早い日が金曜日の13日だった。昨年8月13日昼に成田をたち、パリ経由でフィレンツェ空港に着いたのは午後9時である。

空港で落ち合ったフランス人の友人の運転する車はフィレンツェ市内に入らず、南に向かった。曲がりくねった田舎道を上ったり下がったりして進むこと40分、茂みの中の空き地で車を停めた。あたりは真っ暗、電灯で足元を照らしながらビラに入った。平屋の小さな家である。

翌朝、目を覚まして驚いた。家は小高い丘に建っている。眼下はゆったりと傾斜する谷、谷間の向うになだらかな丘陵が幾重にもつらなっている。丘の上に僧院。かなたにかすむ山々の頂。向こうの斜面のブドウ畑を朝日がバラ色に染めている。ところどころに点在する糸杉、銀緑色に煙るオリーブの林……。息をのむような美しさだ。

ここはイタリア中部のトスカーナ州。心臓の形をしているところからイタリアの心臓といわれる。いま立っているところはキアンティのそばのパンツァネノ。一帯はキアンティ・ワイン、とりわけキアンティ・クラシコの産地である。

南向きの斜面はふんだんに日光を浴びているから黄金の谷と呼ばれる。キアンティ・クラシコの名品はこの黄金の谷から生まれた。オリーブの木は小指の先ほどの小さな実をつけている。8月というのに日差しは柔らかい。黄金の肌ざわりだ。

眼下にトスカーナの牧歌的な眺望が開けている。天国的風景といったらいいか。どこかに天使がいてもおかしくない。きょろきょろ見回したが、残念ながら見つからない。昔はトスカーナの野に無数の天使たちが浮遊していたに違いない。

天使が翼をひと振りすれば州都フィレンツェに着く。フィレンツェの教会、修道院、美術館にはおびただしい数の天使が描かれている。モデルの大部分はトスカーナの野からやってきた天使ではないか。

マルコ修道院には、僧房に上がる階段にフラ・アンジェリコの「受胎告知」が描かれている。天使は左手を胸にあて、その上に右手を重ねて身をかがめ、マリアに神の言葉を告げている。このポーズはトスカーナの若い女性がよくとる独特の姿勢だそうだ。

この壁画が描かれた15世紀、フラ・アンジェリコの目に確かに天使が見えたのだと思う。トスカーナ風のきりっとした面立ちの天使が。その後、トスカーナにも天使の姿は見当たらなくなった。

16世紀の初め、フレンツェ政府の外交、政治担当書記局長だったマキャベリは政争に巻き込まれて投獄され、やっと出獄を許されると、トスカーナの一角、サンタンドレア・イン・ペルクッシーナの別荘にこもった。泉のほとりでダンテを読みふけり、居酒屋で近所の男たちとキアンティでおだをあげ、夜、別荘に帰ると正装に着替え、政治、外交、歴史について日ごろ考えたことを書きつづった。これが「ディスコルシ(政略論)」と「君主論」である。

マキャベリは書いている。「民の声は神の声に似るといわれるのも、いわれのないことではない。それともいうのも、世論は不可思議きわまる力を発揮して先を見通す働きをやってのけるからだ。君主よりは人民の側に偉大な力を発揮できる能力が備わっているのではないかと考えられる。人民にくらべると、君主のほうがはるかに失敗を犯しやすい」(『ディスコルシ』)

神は沈黙し、お告げを述べる天使はもういない。マキャベリは天使にかわって、人間として自分の考えを語った。別荘は現在マキャベリ博物館となり、その一部がキアンティ・クラシコ協会の事務所になっている。

民の声は神の声か、なるほど。キアンティの杯を重ねたら、会いたかった天使がとうとう現れた。(2005年9月記)
ページのTOPへ