会見リポート
2023年06月02日
15:00 〜 16:30
10階ホール
「関東大震災100年」(2) 後藤新平の復興計画と政治・行政の役割 青山佾(やすし)・元東京都副知事
会見メモ
元東京都副知事で、後藤新平研究の第一人者でもある青山佾(やすし)さんが登壇し、後藤新平が内務大臣兼復興院総裁に就任し震災復興計画ができるまでの経緯や復興計画がいまの都市構造に何を残し、何が課題となっているのかなどについて話した。
司会 橋本五郎 日本記者クラブ企画委員(読売新聞)
会見リポート
100年前の復興計画が投げかけること
安藤 いく子 (毎日新聞社社会部)
今年発生から100年となる関東大震災。後藤新平が初代復興院総裁として首都東京の復興計画を手掛けたことは多くの人に知られている。元東京都副知事で後藤研究の第一人者である青山佾氏は「後藤の復興計画が現代の東京の都市構造を決めた」と指摘する。
後藤は医師から内務省の役人に転身。そこから台湾の第4代総督の児玉源太郎を補佐する民政長官として、上下水道や道路整備、産業振興などに取り組んだ。その後、南満州鉄道総裁や東京市長などを歴任した。
関東大震災は1923年9月1日に発生し、後藤は翌日内務大臣に就任。6日には復興の基本方針となる「帝都復興の議」を閣議に提出した。発生直後に東京の復興を構想したスピード感について、青山氏は、混乱期の台湾民政長官時代を紹介し、「過酷な状態からの成功体験がある。その経験が非常に大きかったのではないか」と分析した。
青山氏は震災復興の最大の功績として「環状道路計画」を挙げた。東京市は震災後の23年に環状道路を整備することを決定。日光街道や甲州街道といった放射方向の道は江戸時代からあるものの、環状道路を組み合わせることで中心部の混雑を緩和できる。「その後、都市計画を担当した私たちからすると、卓越した発想だ」と評価する。
一方、後藤の構想が実現せず現代の東京には大きな課題が残されている。後藤は住宅地の道路幅は全て6メートルと計画していたが、予算が削減され実行できなかった。現在の首都直下地震の被害想定では木造住宅密集地域の火災が懸念され、道路幅の狭い密集地では消防車が進入できず消火活動に支障をきたす恐れがある。青山氏は「住宅地の道路はほぼ区道だが、新たに道路を作る予算はほとんどみられない。危険な状態が残されている」と警鐘を鳴らす。
ゲスト / Guest
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青山佾 / Yasushi AOYAMA
元東京都副知事
研究テーマ:関東大震災100年
研究会回数:2