2023年03月08日 13:00 〜 14:00 10階ホール
勉強会「国産ロケット」的川泰宣・宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授

会見メモ

昨年10月のイプシロンロケット6号機に続いて、7日に行われた「H3」1号機の打ち上げも失敗に終わった。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授で宇宙工学者の的川泰宣さんが国産ロケット開発の歴史などについて説明するとともに、記者からの質問に答えた。

 

司会 黒沢大陸 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞社)


会見リポート

宇宙と生活 結びついてこそ

垂水 友里香 (毎日新聞社科学環境部)

 日本の「ロケット開発の父」糸川英夫さんの東大退官前の「最後の教え子」で、生き字引の的川さんによる「国産ロケット開発史」の勉強会。皮肉にも集大成となる次期主力機H3ロケット初号機の発射失敗翌日になった。冒頭、的川さんは「たいへん幸せな気持ちでこの場に来るはずだった」と表情を曇らせた。

 国産ロケット開発の始まりは、糸川さんらが取り組んだ1955年のペンシルロケットの水平発射の成功だ。的川さんは水平発射となった理由を「朝鮮戦争の残存燃料を使ったため」と説明。60年代には米ソの気象や通信の実用衛星が活躍し始めた。後を追うように打ち上げた日本初の人工衛星おおすみには、当時、大学院生としてかかわった。

 糸川さんについては「60歳をすぎてバレエを始め、1年後には帝国劇場で『ロミオとジュリエット』でデビューした」と、型にはまらない人柄を紹介し、会場の笑いを誘った。

 宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)は米国の技術を導入し、N1、N2、H1を開発したが、第1段の主エンジンを独自開発し、純国産となったのは94年にデビューしたH2が初めて。H3はこれ以来、29年ぶりとなる国産ロケットの新規開発だった。

 日本の有人ロケット開発にも言及し「液体燃料のH3は爆発が起きにくい安全性の高い設計で、安定運用できれば有人ロケットとしても最も安全な機体になる」と期待を寄せる。有人ロケットの開発には多くの課題があるものの、「日本は世界で3番目に多い宇宙飛行士を抱え知見が生かせる、国際宇宙ステーション(ISS)の実験棟『きぼう』の開発実績が生かせる」などと説明した。そのためには、衛星情報を活用するカーナビや天気予報が不可欠なように、「多くの人に宇宙が生活に欠かせない存在であると認識をもってもらうことが重要だ」と話した。


ゲスト / Guest

  • 的川泰宣

    宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授

研究テーマ:国産ロケット

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