会見リポート
2018年07月24日
15:00 〜 16:30
9階会見場
「平成とは何だったのか」(8) 吉川弘之・元東京大学学長・元日本学術会議会長
会見メモ
科学者としての自分の歩みを紹介し、昭和の経済成長時代からこれまでの日本の製造業や科学技術政策を振り返った。大学の工学部は世界に先駆けて日本で創設された。大卒が製造現場に入ったことが製造業の繁栄につながったとした。科学技術政策では、科学技術基本法の制定や総合科学技術会議の設立により政府主導型に移行し、大学の若手研究者が自主的に研究テーマを選ぶことが減ってきており、危惧していると述べた。
『<吉川弘之対談集>科学と社会の対話―研究最前線で活躍する8人と考える』
司会 上田俊英 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞)
会見リポート
昭和はボトムアップ 、平成はトップダウン
井上 能行 (東京新聞論説委員)
平成を語るには、昭和を知らなければいけない。そんなことを痛感した会見だった。
吉川弘之さんは設計学やロボット工学が専門。学術会議会長などを歴任し、政府にもの申してきた。東大工学部を卒業してから約30年間が昭和、その後の30年が平成。平成を「下り坂」と表現した。
昭和はなぜ、良かったのか。
「戦後、大学で学んだ若いエンジニアが工場に配属され、工員さんと一緒に働いた。50歳ぐらいのおばちゃんのアイデアをエンジニアが生かして『一円もうかった』とみんなで盛り上がった。現場は哀しいほど元気だった」
「昭和はボトムアップでうまくいった。平成になると、見事にトップダウンに変わった」
トップダウンの悪影響は、最近話題の研究費問題にも表れている。
「役所が有名教授を集めてきれいな絵を描き、研究費を細分化して配る。若手が自主的に研究テーマを選べなくなっている」
暗い話が多かったが、1972年にストックホルムで開かれた「第一回国連人間環境会議」で、水俣病などの公害が注目された環境問題は大きく前進した。社会と科学界のコミュニケーションが進んで「パリ協定では途上国も参加し、地球上の全員が巻き込まれた。全員というのは、人類史上初めて。他の問題にも適用しないといけない」と総括。さらに「省エネが一般の人に広がったのはメディアのおかげ」と話した。
これからはどうすべきか。
「戦後、日本と欧米との競争は1億対5億。今は世界が相手で1億対70億。状況が変わったのに、もう一回、五輪・万博ではないのでは。レジェンドとすべきは、みんなで議論する場があって盛り上がること」
「日本には一人でやる神さまはいらない。そうしようという人も一人いるが」と冗談も。八百万神の国には、ボトムアップがよく似合う!
ゲスト / Guest
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吉川弘之 / Hiroyuki Yoshikawa
元東京大学学長・元日本学術会議会長 / former rector, Tokyo University, former president, Science Council of Japan
研究テーマ:平成とは何だったのか
研究会回数:8