1989年04月14日 00:00 〜 00:00 宴会場
李鵬・中国首相

会見メモ

・・・さて、4月のクラブ行事だが、中心になったのはデミタ・イタリア、李鵬中国、ホーヒー・アイルランド3首相の記者会見。
 このうち李鵬首相の記者会見は10階ホールがふさがっていたので、9階の宴会場とレストランをつないで開かざるをえなかった。このため一部に席のない人が出たのは申し訳なかった。しかし、人民日報や台湾テレビの記者も含め、会場から次々に鋭い質問が出て、久し振りの活気あふれる記者会見となった。・・・
日本記者クラブ会報1989年5月号1ページから引用)

 

 「中国にはそういう習慣がないので」と会見に応じることのなかった中国首脳が、鄧小平副首相(78・10・25 400人)の会見以降、次々とクラブを訪れるようになった。華国鋒総理(80・5・29 303人)、趙紫陽総理(82・6・2 230人)、胡耀邦総書記(83・11・26 230人)、彭真全人代常務委員長(85・4・25 245人)といったところが超大物だった。
 そして、今回は李鵬総理である。中ソ正常化という背景、加えて開放政策に慎重な立場をとるモスクワ留学組の首相個人に対する関心も高く、鄧小平氏に次ぐ規模の会見になった。
 10年余りの間に中国側も西側スタイルの会見になれずい分変わってきた。かつては代表質問にしてほしいとか、国交のない国の記者の出席は遠慮してほしいとか、注文のついたこともある。
 結果として今回の会見は、これまでで最も自由で活発なものだったといえる。従来、中国要人の冒頭スピーチは一般に長すぎて質問時間が十分でない、と折衡段階で伝えたら、首相の最初の発言はわずか2分になった。
 質問も際だって率直で多彩だった。日本側の記者は、①首相と趙紫陽総書記の路線対立②中ソ正常化③対日経済重視・政治軽視策などの観点から質問をした。
 人民日報の孫東民会員は、「中日関係は双方とも友好と言っているが、歴史認識では問題もある」として、天皇会談の内容を質した。これに対する答えが、翌日朝刊の「日中の不幸な歴史に遺憾の意」とか「天皇陛下が遺憾の意」という大きな見出しになった。
 台湾テレビの楊泰明会員も、少し高揚した様子だったが、初めて中国の首相に質問した。氏名と所属を名乗った楊記者に、首相は「ニーハオ」と。中国の総理と台湾記者の一問一答は史上初のことであろう。
 台湾テレビは、この会見を衛星で送り、夜7時半のニュースで放送した。同地有力紙「中国時報」は朝刊1面トップで、この質疑応答を報じた。
日本記者クラブ会報1989年5月号12ページから引用)

会見音声


ゲスト / Guest

  • 李鵬 / Li Peng

    中国 / China

    首相 / Premier of the PRC

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