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与謝野馨さん 元官房長官、元財務相/財政守る「黄金の釘」(三沢 耕平)2025年8月

 給付か減税か――。ばらまき合戦の様相を帯びた7月の参院選を見るにつけ、そのどちらにもあらがった政治家を思い出した。与謝野馨さん(享年78)だ。

 与謝野さんを追いかけ始めたのは、福田康夫政権のころ。都内の一軒家に「夜討ち朝駆け」するのが日課だった。自宅前には常に数十人の記者がずらり。特ダネに飢えていた私は行き付けのバーや雀荘に突撃するなどして、サシ(一対一)の機会をうかがった。

 知遇を得たわけではないが、顔を覚えてもらって以降はよく絡まれた。「今日は何たくらんでいる?」「くだらない質問しかしねえくせに」。「政策職人」から何かを学びたいと考えていた私は、そんな「毒舌」も心うれしかった。

 与謝野語録でよく耳にしたのが「シャウプ勧告以来の大改革」。入るを量って出ずるを制す「改正」ではなく、「改革」の必要性を繰り返し説いていた。

 財政を守る執念を感じたのは、リーマン・ショック後の景気刺激策として実施された定額給付金を巡る攻防だ。深夜まで続いた自公幹事長会談で実施が決まった際には、日付が変わった未明に会談場所のホテルに乗り込んで「待った」をかけた。2009年度税制改正法の附則に「消費税を含む税制の抜本的な改革」を明記するなど、後の消費税引き上げへの布石を打つことにも執念を燃やしていた。

 

菓子の包みは公約の「紙」

 1度だけ、スクープをもらったことがある。08年秋の自民党総裁選に出馬したときのこと。与謝野さんの公約が「紙」になったことを知った私は、それをゲットしに事務所に向かった。

 「公約はもう紙に?」

 「国家100年の計を書いた」

 「今日は1面が空いています。ぜひ、『紙』を……」

 大きなあくびをして黙り込む与謝野さん。結局、けんもほろろに拒否されて帰路につくと、携帯電話が鳴り、「お土産にお菓子をあげるから事務所に戻ってこい」。

 お菓子をもらうと、その包み紙が公約の「紙」だった。「堂々たる政治」「シャウプ以来の税制抜本改革」。与謝野節あふれる公約集を記事にし、翌日の1面に掲載した。

 毀誉褒貶相半ばした政治家でもあった。09年に自民党が下野すると、翌年に「たちあがれ日本」を結党。「たち上がれ」も離党し、民主党政権の閣僚になって消費増税に携わった。その変節ぶりには、側近議員も「暴走老人だ」と困惑顔だった。

 

財政監視 記者として「釘」

 39歳でがんの告知を受け、4種のがん発病と闘った。健康状態を問うた時の答えが忘れられない。

 「俺から仕事を取ったら死んじゃうから」「大手術を繰り返すうち、いろんなことが小さく見えるようになっちゃって」

 変節批判も何するものぞ。死線を越えた先には、政策を実現すること以外、全てのことが小さく映っていたのだろう。

 祖母は歌人の与謝野晶子。好きな歌を教えてくれたことがある。

 「劫初より 作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」

 生きた証しを世に残す。そんな人間の矜持を詠んだ歌だ。バラマキを連呼するポピュリズムに覆われる時代。与謝野さんが打ち込んだ「黄金の釘」に思いをはせるとき、財政を監視するジャーナリストのはしくれとして、それに続く釘を打たなければと切に思う。

 

(みさわ・こうへい 1998年4月毎日新聞社入社 現在 経済部長)

 

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