ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


書いた話/書かなかった話 の記事一覧に戻る

ドイツ取材はライフワーク/日本との対比が常に念頭に(熊倉 逸男)2026年6月

 記者生活で印象深かったのは、ドイツとの関わりだ。1990年代から2000年代にかけて3回にわたり、計6年間滞在した。

 その後も2015年の難民危機は、現地で目の当たりにした。論説でもドイツのことを書き続けた。その時々の取材対応に精一杯だったが、数十年単位で振り返ると、流れや傾向、歴史のようなものが見えてくる。

 常に思い浮かべていたのは、同じく、敗戦国としてボロボロの状態からスタートし、経済復興した日本との対比だ。

 もちろん、比較しようという予断を持ちながら取材するのは、報道にゆがみをもたらしかねない。しかし、ドイツを鏡として参考にすることはできると思う。4つのテーマごとに取り上げたい。

 

「終戦」をどうとらえるか

 1995年、ボン支局に赴任した時、最初に直面したのが「戦後50年」だった。日本では違和感なく「終戦記念日」と呼ぶが、ドイツでは連合国に降伏した5月8日をどう呼ぶか、議論が続いていた。戦後40周年の演説で西ドイツ(当時)のワイツゼッカー大統領は、ナチスからの「解放の日」と強調。これに対し、保守派は「(旧ドイツ領からの)追放と、(東西ドイツという)国の分割が始まった日」と訴えた。ナチスによる加害だけでなく、ドイツ人も壮絶な被害を被っている、という意識が高まってきていた。この論争は戦後75周年の20年、シュタインマイヤー現大統領が「解放の日だった」と改めて表明することで、一応決着した。欧州の協調を重視した結果だった。

 日独の「過去の清算」を単純に比較するのは乱暴だ。ただ、欧州連合(EU)の一員となり隣国と平和的に共存しているドイツは、外交的に賢明に振る舞っていると思う。

 しかし今、ドイツの「過去の克服」は大きな矛盾を露呈している。パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの攻撃を、ドイツ政府は支持している。ユダヤ人らを大量虐殺したホロコーストの歴史的責任ゆえのユダヤ人国家イスラエル擁護だが、多数の民間人犠牲者を出している攻撃を正当化するのは無理がある。

 

脱原発巡り別々の道へ

 以下の3件はメルケル首相の政策に深く関わるものだ。

 まずは、脱原発。

 11年3月、東京電力福島第1原子力発電所のメルトダウン事故をきっかけに、それまで原発推進派だったメルケル首相は「日本ほど高い技術水準を持つ国でも過酷事故を防げなかった」とショックを受け、哲学者、宗教指導者らによる「倫理委員会」の提言をもとに脱原発へとかじを切った。当時17基あった原発の稼働を22年末までに停止する方針を決めた。メルケル氏のショックは私自身も共感している。それまで、「核兵器ではなく、原発などの平和的利用なら、原子力活用も認められる」と考えてきた。イラン核問題対応で使われた理屈だ。しかし、福島の事故で日本の東半分を壊滅させかねなかった被害の大きさに愕然とし、原発の大きなリスクに疑念を深めるようになった。

 16年10月にはシュタインマイヤー外相(現大統領)から、脱原発へ向けて日独の連帯を訴える寄稿をいただいた。東京新聞、中日新聞とも1面トップで扱った。

 ただ現実には、その後の日独の歩みは対照的だった。

 ロシアが欧米の経済制裁に反発して天然ガス供給を停止したため、一部原発の稼働を延長したが、23年4月に最後の原発を停止させ、脱原発を完了した。代替として再生可能エネルギーの割合を増やしている。日本は福島の事故後、「原発依存を可能な限り低減する」としてきた方針を3年前、「原発を最大限活用する」と転換し、原発の再稼働が進んでいる。

 

寛容政策は失敗だったか

 最初にドイツに来た時の印象は、町中に外国人、特にイスラム教徒が多かったことだ。ケバブを売る店があちこちにある。戦後の高度経済成長期を支えるために来たトルコ人やその家族らだという。冷戦後、90年代に入ると、旧ソ連、東欧諸国、内戦のあった旧ユーゴスラビア諸国などからの移民や難民も、よく見かけるようになった。ドイツが多くの難民らを受け入れているのは、ナチスによるユダヤ人迫害への反省から、基本法(憲法)が難民らへの庇護権を規定していることが背景にある。

 難民が爆発的に増えたのは、メルケル首相が15年、内戦のシリアなどから殺到した難民を上限なく受け入れる寛容政策を表明したのがきっかけだ。翌年にかけて約120万人が流入した。急激な受け入れは社会のひずみももたらし、自治体などは受け入れ場所確保に四苦八苦。難民らによるテロや暴行事件も相次ぎ、排外主義を掲げる極右政党が躍進する結果となっている。ロシアにより侵攻されたウクライナからの難民も100万人以上に上り、負担はさらに増えている。ドイツ人の人口の約4分の1が、外国にルーツを持つとみられている。

 今、在日外国人によるトラブルが問題となっている日本では、ドイツなどの難民移民問題は失敗例として取り上げられることも多い。果たしてそれだけだろうか。

 15年12月、ドイツの難民受け入れ現場を見た。ドイツ語教室など、社会に溶け込んでもらうための教育の場を設けていた。「自分たちも戦後、(ドイツが失った東方領土からの)難民だった」と寄り添うボランティアもいた。難民らは助けてもらった恩は忘れない、と口々に話していた。

 トルコ人移民2世、3世の中には、教育や技術を身に付け、現在、ドイツ社会で活躍している人も多い。23年にはメルケル氏の寛容政策によってドイツ南西部に移住したシリア難民が、町長に当選した。少子化の時代、移民難民らが力となってくれる場面も多くなってくるのではないか。

 

米国との距離をどう取るか

 日本は日米安保協定を結び、ドイツは米欧の軍事同盟、北大西洋条約機構(NATO)の一員で、ともに米国の同盟国だ。しかし、そのありようは違う。ドイツ統一後、米軍など駐留軍は地位協定改定に応じ、駐留軍の訓練などにドイツ国内法が適用されることになった。一方、日米地位協定では、米軍の特権は大幅に認められたままだ。

 日米関係、米独関係とも、トランプ米政権の登場で、大きく揺さぶられている。第一次トランプ政権登場の際、メルケル氏は「他国(米国)に完全に頼る時代は終わった」と嘆き、米国と距離を置く姿勢を示した。

 今回の米国イスラエルによるイラン攻撃、ホルムズ海峡を巡る米国とイランの対立や迷走に、欧州からは厳しい批判も相次ぐようになった。メルツ独首相は4月、「米国はどのような出口戦略を選択しているのか、分からない。米国はイランから屈辱を受けている」と批判した。これにトランプ氏は不快感を示し、米国防総省はドイツ駐留の米軍5000人を撤収させる計画を明らかにした。欧州がトランプ政権に啖呵を切れるのは、EUの結束が強く、米国抜きの軍事力でもある程度対応できる自信があるからだろう。

 残念ながら、日本の周囲には、EUのような心強い「仲間」はいない。むしろ中ロ北朝鮮など、警戒すべき存在ばかりだ。「米国一国依存」の状況が続くしかない日本の現状を、憂えている。

 

▼くまくら・いつお

1982年中日新聞社入社 東海本社報道部 名古屋本社社会部 東京新聞(中日新聞東京本社)外報部 ボン ベルリンの各支局 論説委員を務め 2024年3月退社

 

前へ 2026年06月 次へ
31
1
3
6
7
9
11
12
13
14
17
19
20
21
23
26
27
28
30
1
2
3
4
ページのTOPへ