ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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河野あや子さん グーグル執行役員広報部長/距離感絶妙 ニューヒロイン(福山 崇)2022年10月

 東京・神田の「海事プレス」社で記者をしていた。海運や造船などの専門紙。大手商船会社などに出入りし、「ネタがないと帰れません」と粘った。担当は「不定期船」。決まったルートを運航する定期船と違い、世界の気象やエネルギー需給、為替や国際紛争で動向がめまぐるしく変わる。「知らずに飛び込んだら、ずいぶんヤクザな世界だった」と笑うが、彼女の半生も定期ルートではない。

 精密機器大手の営業職だった父の赴任に伴い、15歳までの大半を米国で過ごした。慶応大を卒業後、旅行大手JTBの出版部門、英字紙ジャパンタイムズの書籍編集などで働いた。3社目の海事プレスは海外の読者も多く、新聞業界でいち早くデジタル発信もしていた。日経の求人広告を偶然見て応募した仕事だったが、海の取材は予想以上にグローバルで、熱中した。

 

「彼女がいい」ゴーン氏専属に

 転機は1本の電話。仕事ぶりを調べたのか、ヘッドハンティング会社から「日産自動車の社長専属広報を探している」と声がかかった。候補者数人に絞り込んだ最終面接まで進んだが、「広報は未経験だし、不合格だろうと思っていた」という。結果は合格。「彼女がいい」と鶴の一声で採用を決めたのは、2年間支えることになるカルロス・ゴーン社長(当時)だった。

 銀座の本社に通い始めた2006年当時、日産は構造改革のまっただ中。ひとまず経営危機は脱したが、ゴーン改革の〝次の一手〟が注目されていた。当然、取材依頼は引きも切らない。テレビ番組の密着取材、スピーチ原稿の作成、各国の工場訪問の段取り、社員対話集会でのQ&Aづくり…。ゴーン氏のコミュニケーション戦略の全てが自分の仕事になった。企業広報も含め計4年勤め上げ、10年にグーグルに転じた。

 

女性経営者刺激に 部長に立候補

 グーグルでも広報に所属したが、出産を経て14年に復帰すると、上司の部長が転職し、ポストが空いた。半年間、新たな部長を探したが見つからず、自ら立候補した。グーグルやフェイスブックの役員を務めたシェリル・サンドバーグ氏の著書『リーン・イン』を妊娠休暇中に読み、「女性でも一歩も二歩も踏み出す姿勢に勇気づけられた。私も挑戦しなきゃと思った」。面接を自ら受け、合格。その後3回の昇進を重ねた。

 注目企業でヤクザな記者たちとやり合うのは日産時代と同じ。だが、「広報部門トップ」の重責が加わった。今も肝に銘じるのは、海事プレス時代に取材した商船三井の社長の言葉だという。駆け出しの頃、同社の入社式で社長スピーチを聞き、記事にした。翌朝、それを読んだ社長から電話が入った。スピーチの微妙なニュアンスをめぐるやりとりがあったあと、最後に社長がこう言った。「訂正を求めているのではありません。『ちゃんと読んでいますよ』と伝えたかった」

 毎年七夕の頃、自分と同じ1977年度生まれの記者やメディア関係者を集めた懇親会「77会」を主宰している。家族の話になると、配偶者のことをきまって「夫のひと」と呼ぶ。「旦那」「主人」などは聞いたことがない。漫画家の伊藤理佐さんが夫の吉田戦車さんをそう呼ぶのを真似たという。夫婦関係は良好なのに、その絶妙な距離感。記者たちがそこにも新しい女性像を感じるのは、巧みな広報戦略のためだけではないだろう。

 

(ふくやま・たかし 2002年朝日新聞入社 経済部などを経て 21年からメディア戦略室専任部長)

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