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モンテ・クリスト伯の影  イタリア自然保護区の孤島へ (後藤 文生)2017年10月

イタリア・エルバ島南部の小さな漁港で、漁船に乗せてもらう約束だった。古ぼけた街灯がまばらに光っていたが、ほとんど暗闇に近い。深夜の岸壁で10分ほどたったころ、サンダル履きの足音が近づき、私の前で止まった。色黒の、ひげの濃い男だ。

 

「話は聞いている。はやく乗れ」

 

男がアゴで指した汚れた小船には「flora」という字が船首に読めた。(これが花か)とつぶやきながら甲板に移ると、船はエンジンの音を響かせて岸を離れた。

 

やがて岸壁の灯りも遠ざかり、船は漆黒の闇に突き進んだ。

 

「モンテ・クリスト島」。トスカーナ群島の1つ、エルバ島の南40キロにある小島に向かった。

 

◆天皇皇后両陛下欧州訪問に同行 

 

ここに至るいきさつを述べよう。1971年9月、天皇、皇后両陛下はヨーロッパ諸国の旅に出られた。デンマーク、ベルギー、フランス、イギリス、オランダ、スイス、西ドイツ(当時)の7カ国。同行取材を命ぜられて9月27日から10月14日まで7カ国を走り回り、最後の西ドイツに着いた頃は疲労困憊、両陛下が帰国された後は、1日中ホテルで眠っていた。

 

忙しさに疲れただけではない。さきの大戦でこの7カ国と日本がどう向き合っていたかによって、行く先々での対日感情はさまざまだった。オランダ、イギリスでは特に訪問反発の行動が随所で見られ、車列に瓶や卵などが飛んできた。10月6日、イギリス王立植物園で植樹された杉の木は翌日には切り倒されていた。そんな取材がやっと終わってほっとしたところに、デスクから新たな指令が飛び込んできた。

 

「ご苦労さん。ところで、もう1つ取材を頼む。正月の別刷りに世界の自然保護地域を特集する。今年国連が募集して、日本も出している。君はイタリアが出したモンテ・クリスト島を頼む」

 

◆エルバ島からの漁船がエンスト

 

(どこにあるんだ)と思いつつボンからローマへ。とりあえず自然保護を所管する役所を訪ねた。

 

「モンテ・クリストに行く航路はない」というのが最初の答えだった。しかし、自然保護というのは当時、世界的にホットなテーマだったから実によく面倒をみてくれた。

 

「まず、エルバ島に渡りなさい。漁に出る船がモンテ・クリスト島の脇を通るから、便乗させてもらいなさい」

 

役所のボスはこう言って、漁船の手配までしてくれた。こうしてわれわれは深夜に漁船を待つことになった。

 

船は、次第に波が立ち始めた沖合を進んでいたが、突然ポンと音がして動かなくなった。同時に激しく左右に揺れ、海に投げ出されないようにロープにしがみつくのが精いっぱい。すると、船倉から一人の少年が飛び出してきて船長を手伝い始めた。それまで暗い船底で寝ていたらしい。

 

やがて船は立ち直り、レーダーに小さな島影が映った。

 

夜が明けるにつれて島は肉眼でもはっきり見えるようになり、海底火山が海面に突き出したような鋭い小山を形作っていた。

 

だが、島に上陸してからも、なぜこのみすぼらしい小島が自然保護の候補地なのか不思議だった。

 

何かの手掛かり、この島を意味付けるものとしては、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の中で、重要な役を持っているということぐらいだった。

 

しかし、それはフィクションの世界の話である。小説の筋は多くの方がよく知っていると思うが、エドモン・ダンテスという船乗りが無実の罪で投獄され、長い獄中生活を送る。その中で高齢の司祭に出会い、いろいろな教えを受ける。司祭は死の間際にダンテスに財宝を譲り、その在りかがモンテ・クリスト島であると告げる。彼は司祭と入れ替わって脱獄し、財宝を手にしてモンテ・クリスト伯を名乗り、自分を罪に陥れた者たちに復讐する。

 

島のたたずまいは、実物と小説は異なるといわれているが、いずれにしろ小説は小説、現代社会に直接関わりはないだろう。

 

〈こうした黄金や宝石に手を触れ、ふるえる手をその中に突っ込んだ後で、ダンテスは立ち上がったかと思うと、狂人のように体を興奮に震わせながら、洞穴の中から走り出た。彼は、海を見渡す岩の上に躍り上がった。〉(『モンテ・クリスト伯』山内義雄訳・岩波文庫)

 

彼が島で洞窟を発見し、財宝を手にした瞬間である。

 

だが、島のどこを探しても、洞窟などはなかった。案内してくれたレンジャーについて山道を歩き始めると、足元の茂った草が爽やかな芳香を放った。

 

「ローズマリーノ」。彼が草を指してこう言った。

 

しばらく斜面を登ると、水をいっぱいたたえた穴があった。表面は枯れ葉で覆われていたが、その下は透明な真水だった。穴の入り口から大きくえぐれた足跡が、さらに上った廃虚にまで続いていた。

 

◆水場と僧院を結ぶ足跡が・・・

 

廃虚というのは、中世に島に建てられた僧院の跡である。信仰の対象となり、いろいろな貢ぎ物があったらしい。それを狙った海賊も頻繁に現れる。19世紀初めには僧院もなくなり、僧たちが財宝を埋めたという伝説だけが残った。僧たちはこの水場から斜面にえぐられた足跡をたどって、僧院まで水を運んでいたのだろうか。

 

自然といえば、山頂付近に野生のヤギが生息していて、19世紀半ばにはこれを狙った狩猟クラブができた。金持ちが建てた山荘がクラブハウスとなって、一家4人の管理人と例のレンジャーが寄宿人として住んでいた。つまりこの5人を除いて島本来の住人というのはゼロだった。

 

翌朝、山荘の裏庭にある小屋に案内されて、そのあたりに一家のささやかな生活の痕跡を見ることができた。小さなツボには小さなイワシが塩漬けになっていた。天井にはカラスウリのようなトマトがぶら下がり、半分紫色に染まったホーロー浴槽が転がっていた。

 

「これでブドウをつぶしてワインを作っていたんだ」

 

外にはオリーブの木が茂り、島の周りで一家が釣りに使うボートがあった。そのボートで島の周りを一周してみた。切り立った海岸線はすぐ濃いエメラルド色の海に沈み、めぼしいものは何もなかった。

 

東京に戻って原稿を書いて、それでもなお釈然としない気持ちが残った。もう一度、私は『モンテ・クリスト伯』を読んでみようと思いついたが、それを果たしたのは、それから随分たってからだった。

 

小説は岩波文庫で全7巻。そこで気付いたのは、2巻目ですでにエドモン・ダンテスは財宝を掘り出しているのだ。彼は、そこからモンテ・クリスト伯に変身する。物語の大半はそこから始まる。モンテ・クリスト島は、ただ宝を見つけるだけの島ではなく、モンテ・クリスト伯を生み出す島であり、後の5巻の土台である。

 

自然環境と架空の物語は混然一体となっていて、切り離せないものだということを知らされたのだ。島が自然保護区になる意味を、モンテ・クリスト伯の影に見いだすべきであった。今頃になって、そういう視点を持たなかったことが残念でならない。

 

蛇足だが、翻訳者の山内義雄教授(早稲田大学)に、学生時代フランス語を教わった。先生はすごいヘビースモーカーで、授業中も唇の端から煙草を離さなかった。鼻が煙でいぶされて茶色に染まっていた。

 

ごとう・ふみお

1935年生まれ 57年読売新聞社入社 社会部長 編集局次長兼文化部長 常務取締役事業局長などを務め 98年広島テレビ放送へ 同社取締役副社長 代表取締役社長 同会長を歴任 現在 顧問

 

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