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知床旅情(天野 岩男)2005年8月

8月末、道東を一人旅した。高校まで羊蹄山とニセコに挟まれた寒村で過ごしたくせに、札幌以遠は、釧路を仕事でとんぼ返りしたほかは未踏だった。学生時代から「旅なら西」「旧所名跡巡り」優先で、故郷にはご無沙汰だったが、一線を離れ、暇ができるにおよんで、北の大地が懐かしくなった次第。

JRの乗り放題切符に身を委ね、旭川、網走を回った後、斜里でも一泊。9時過ぎ、駅前で電気がついていたのは自民党幹事長の選挙事務所だけ。静かな町だ。翌日は世界遺産指定ほやほやの知床巡りである。雲一つない旅日より。平日で観光バスは10数人だが、最初の見もの、オシンコタンの滝に近づくと急に車がひしめき、滝まで百㍍以上歩くこととなる。ゆっくり見入る間もなく、後続の人並みに押され、みな写真を撮り終えるときびすと返す。

知床峠から間近に見上げる羅臼岳は絶品。惜しむかな国後だけは雲でのぞめず。マイカー規制がある自然センターに着くまでの間、ガイドさんがクマに出会ったときは静かにやり過ごす、エゾシカやキタキツネにえさを与えてはいけない、ごみは決して捨てないでなど、噛んで含めるように注意事項を説明。ちゃらちゃら騒いでいた若いカップルもうなずいているので少し安心する。

知床五湖巡りは徒歩。入り口に大きく「クマに注意」の警告表示。クマ除けの鈴がないので、音を出すグループにすり寄って進む。各地の風光明媚を見慣れた目にも、湖畔から見渡す知床連山は息をのむ美しさだ。空の色が違う。水は緑にあくまで澄んでいる。90分間に及ぶ山道行だが、疲れを感じさせない。空き缶やペットボトルが捨てられていないのもうれしい。

ある新聞に「飲んで騒いで 丘に登るな 知床の」という川柳が紹介され、同じ心配をしていたが、地元一体となった自然保護取り組みの意識は至る所で感じられたし、観光客の態度も見る限りではお行儀よく、どうかこのままであってほしいものだ。

ウトロでカニの握りずしに舌鼓を打ち、今度は遊覧船に乗り込んで海から半島の断崖絶壁を満喫した。大型船は満席で、やや割高なクルーザーにしたが、有名観光地にありがちな客引きの胡散臭さ、押し付けがましさがここにはない。若者もみな親切で、ものを尋ねると、丁寧に教えてくれる。「道産子はいい」と独りごつ。

北見でジンギスカン、池田町のワイン城で十勝牛のステーキをおごり、1週間の北帰行を終えた。台風11号の関東直撃寸前、千歳空港で「引き返すかも分かりませんが、一便前のに乗ってください」とせかされ搭乗口へ急ぐが、検査官が厳しい表情で「バッグ開けてください」。「?」と手を入れると、底に手錠が。網走刑務所博物館の土産物店で面白半分に買ったおもちゃだが、すっかり忘れていた。「羽田まで預かるので手続きを」と言うが、離陸時刻は過ぎている。「放棄します」と叫び、ほうほうの体で機中の人となった。(2005年8月記)
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