2023年06月07日 15:00 〜 16:30 10階ホール
「関東大震災100年」(3) 生存者と死亡者の調査について 北原糸子・立命館大学客員研究員

会見メモ

災害社会史研究の開拓者である立命館大学客員研究員の北原糸子さんが「生存者と死亡者の調査について」と題し、登壇した。

生存者、死亡者調査がどのような流れで始まったのか、当時の状況や調査内容などについて史料をたどりながら話した。

死亡者調査に関する史料は東京都慰霊堂に収蔵されており、北原さんは約10年前に一部を調査したが、現在は非公開となっている。北原さんは、これらの史料が公開・活用されていない現状について「今後の震災にいかされない形で100年前のデータがあるというのは大変残念なこと」とし、社会の財産として共有すべきと強調した。

 

司会 黒沢大陸 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞)


会見リポート

5万4700人の命の記録が非公開

川﨑 豊 (テレビ朝日社会部)

 驚いた。関東大震災で死亡した約10万5千人のうち、およそ半数は身元が分からず、調査して分かった約5万人についても名前を含む詳細なデータは、震災から100年たった今、非公開とされているという。

 北原糸子さんは、災害社会史の第一人者。今回の会見では、関東大震災の生存者と死亡者を調べた二人の人物に焦点をあてた。

 一人は「池田宏」。震災直後に旧内務省の社会局長官となった人物で、日本各地に散らばった被災者について「震災調査票」の作成という国勢調査並みの全国調査を行い、325万人の「無事者」と10万5千人の「死亡者」の数を明らかにした。

 もう一人は、発災時と昭和初期に東京市長を2回務めた「永田秀次郎」。「震災死亡者調査票」を作り、10万を超える膨大な死者の半数を、いわば単なる数字からひとりひとりの人間にした。

 では、なぜここまで記録を残すことに拘ったのだろうか。

 「死亡者調査票」を作成した永田秀次郎には、こんな動機があったという。発災時に市長であった永田は、死者の腐敗が進み衛生状態が悪化することを懸念し、誰ともわからない遺体の焼却を命じたその人だった。そのことについて「非常に引っかかっていた」という。

 「震災死亡者調査票」は名前のほか、本籍地、年齢、男女別、生存していた時の住所、死亡場所、埋葬許可証などが記載された。調査票から5万4700人余りの身元が明らかになり、現在墨田区にある東京都慰霊堂に保管されている。将来の防災に生かす可能性を持つ貴重なデータだ。

 しかし、この調査票は現在公開されていない。北原さんは10年以上前にこの調査票の存在を知り、半年かけて交渉し一部を閲覧することができたという。その後、東京都の姿勢は硬化した。公開を求める北原さんに対し、都は「最近のヘイトの騒ぎというものがあるので、状況が変わった」と今は公開を認めないという。

 調査票が非公開とされていることについて、北原さんは100年前の大震災の教訓が生かされておらず、問題なのではないかと話した。北原さんがゲストブックに記した言葉は「史料から真実を引き出すのが、歴史家の役目」。この記録の存在を知った私たちはどうするのか、自分にも迫る言葉だと感じた。


ゲスト / Guest

  • 北原糸子 / Itoko KITAHARA

    立命館大学客員研究員

研究テーマ:関東大震災100年

研究会回数:3

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