2018年07月17日 18:00 〜 19:30 10階ホール
試写会「陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった」

会見メモ

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 ©Amur2018


会見リポート

貴重な記録と記憶に光

西山 健太郎 (上毛新聞社東京支社報道部)

第2次世界大戦末期、陸軍が現在の群馬県高崎市に建設し、終戦まで1年間だけ存在した「前橋飛行場」。作品は地元住民が残した日記、インタビューなどを通じ、飛行場の実像や戦争に直面する村の姿を浮かび上がらせている。

改めて感じるのは地元住民たちの記録と記憶が持つ価値だ。特に住民の一人、住谷修さんが1940年から11年にわたって個人的に書き残し、映画の軸の一つになっている「村日記」には驚かされる。

飛行場用地として田畑を強制的に買収する軍人、村を襲う米軍機の機数や方角、被害状況、玉音放送後に「真の戦争は今日からだ」と絶叫する村人…。日記の内容は幅広く、描写はきめ細かい。住谷さん自身が戦後に「これは重要なもの。後世に残さなければ」と息子に清書を命じ、保管させたというから恐れ入る。

住民の証言も生々しい。ある女性は前橋飛行場での訓練を終え、死地へ赴く特攻隊員を涙ながらに見送った体験を話し、ある男性は「ラジオと先生の言うことは信じられない」と米軍機がまくビラを隠れて集めていた少年時代を振り返る。

作品に登場する当時の映像などの多くは米国国立公文書館の保管資料。飯塚俊男監督は試写会のあいさつで、日本は軍による文書焼却で戦争資料が少ない点に触れ「国という単位で歴史を残すことがうまくいっていない」と強調した。財務省の決裁文書改ざん問題などを通じ、公文書管理の在り方が問われる現在も変わらず抱える問題だ。

飯塚監督は「個人、私人が書いたものに歴史を鋭く伝えるものがある」と埋もれた記憶や記録がまだまだ多いことも訴えた。映画に登場する住民の大半は80~90代。「今残さなければ手遅れになる」と多くの人が映画製作の資金面も協力してくれたという。こうした声と記録に真摯に耳を傾け、目を向けたい。


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