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長田弘さん 詩人/言葉にできない半分を大事に(小国 綾子)2025年12月

 「言葉にできるのは半分だけ。でも書くことは、言葉にできない残り半分を大事にすることでもあるんです」

 原稿を書いていて迷うたび、長田弘さんのこの言葉を思い返す。言語化できるものより、できないものを。手のひらからこぼれ落ちそうなものに目を凝らし、沈黙から言葉が生まれるのを待つ。

 彼は、私の「言葉の恩人」だ。

 

書き切れない悩み打ち明け

 インタビューさせてもらったのはたった1度だけ。2013年3月。東日本大震災から2年目、「豊かさとは何か」を問う取材だった。「言葉を尽くしても何も書き切れない気がするんです」。取材にかこつけ、震災後に引きずっていた悩みを打ち明けた私に、あの日、彼はほほえみながら冒頭の言葉をくれた。だから、あきらめず書き続けなきゃ。猫みたいな目がそう言っていた。

 この国の行方をも見通していた。「二分法で半分を切り捨ててしまうのではなく、残り半分の可能性にも目を向ける、柔らかな、懐かしい論理が今こそほしい。すべて半分半分で生きれば人間はもう少しましな存在になれるんじゃないかな」。分断が叫ばれる今、私は何度もその言葉を心に刻む。

 「報道とか記事は人にしか話を聞かないでしょう?」

 あの日、長田さんは私にそう問うた。「人から聞く人の物語は、これからどうするという、選択の物語として語られがちなんです。それだと、やっぱり過つ。〈場所〉や〈風景〉には、そこにあるというよりほかの選択はありません。それだけに、〈場所〉や〈風景〉が今何を語っているか、語ろうとしているか、まず聞かなければ。壊すなって言ってる。聞く耳をもたない人間に向かって」

 その言葉に、私は彼の詩「樹、日の光り、けものたち」を思い浮かべた。〈樹が言った。きみたちは/根をもたない。葉を繁らすこともない。/そして、すべてを得ようとしている。〉〈けものたちが言った。/きみたちは/きみたちのことばでしか何も考えない。/そして、すべてを知っていると思っている。〉

 あの日以来、私は、人だけではなく、〈場所〉や〈風景〉の言葉にも耳を傾けるとはどういうことかを探し続けている。

 

なぜ晩年、「平和」を問うたか

 長田さんは2015年の元旦、郷里の福島県の地元紙・福島民報に詩「詩のカノン」を寄稿した。同年5月に亡くなった彼の、生前発表した最後の詩とされている。彼はその中で、国語学者の大槻文彦さんが作った『言海』という辞書の平和の定義を引用している。

 〈タヒラカニ、ヤワラグコト。/穏ニシテ、變ナキコト〉

 数編を除けば、「平和」という直接的な言葉を詩にほとんど使わなかった長田さんが、最後の詩に辞書の定義を引用してまで、平和とは何かを言葉にしようとしたのは、なぜ? 戦後80年の節目の年に、繰り返し考える。

 〈ことばって、何だと思う?/けっしてことばにできない思いが、/ここにあると指さすのが、ことばだ。〉(詩「花を持って、会いにゆく」より)

 長田さんの詩のこの一節があったから、私は新聞記者を続けてこられたのだと思う。

 大きな木をふり仰ぐみたいに、果てしなく続く海を見に行くみたいに、今、長田さんに会いたい。

 

(おぐに・あやこ 1990年毎日新聞社入社 夫の海外転勤に同行するため 2007年に退社 11年再就職 現在 オピニオン編集部)

 

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