取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
サッカー界の哲人が語った/人権と差別と「移民の現実」(高田 昌幸)2026年7月
北米を舞台に繰り広げられているサッカーのワールドカップ(W杯)は、この会報が出るころ、大詰めを迎えている。本稿執筆時はまだ予選リーグ。日本は2試合目でチュニジアを下し、勝ち点4を挙げた。最終成績は果たしてどうなるか。盛夏の楽しみがまた一つ増えた。
テーマは移民 「すぐに来て」
サッカーに関心のない人にはどうでもいい話かもしれないが、かつてフランス代表にリリアン・テュラム選手という名ディフェンスがいた。FCバルセロナなどで活躍。代表チームではジダンらとともに一時代を築き、1998年のW杯フランス大会では同国の優勝に貢献した。
現役だったテュラム選手にインタビューしたのは、2007年1月である。シーズン中であり、「取材は半年か1年待ち」と言われていたが、サッカーの取材ではなくテーマは移民だと伝えると、「すぐバルセロナへ来て」と話が進んだ。
当時35歳だった彼はカリブ海に浮かぶ仏領グアドループ諸島の出身で、幼い頃、パリ郊外に移り住んだ。社会問題にも積極発言することで知られ、「サッカー界の哲人」の異名があった。
今から20年も前の取材だが、学生たちから「ロンドン駐在時に最も印象に残った取材は何ですか」と問われると、しばしばテュラム選手へのインタビューを挙げる。
FCバルセロナの本拠地カンプ・ノウでの取材は3時間近くに及んだ。サッカーの話はほぼゼロ。移民や社会問題、現代史へとテーマは広がり、「哲人」の熱弁は止まらない。例えば、彼はこんなことを話すのである。
1948年、二つの出来事
「僕たち黒人以外にはなかなか理解してもらえないことって、たぶん山のようにある。黒人はしっかり記憶しようと思っていても、それ以外の人々は注意を払っていない」
「例えば、1948年に制定された世界人権宣言。日本でもきっと教科書にも載っていると思う。すべての人は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見などによって差別されてはならない。そういうことが書かれている。その意味と大切さを否定するわけではないけれど、その同じ年、世界では何があったかを知っているだろうか? アフリカでは何があったか即答できるだろうか?」
正直に言うと、私はとっさに答えられなかった。
「あの悪名高い、南アフリカ共和国のアパルトヘイトはそれまでで法的根拠のない慣習だったのに、世界人権宣言が生まれた1948年に白人の権利として初めて法制化された。同じ年に起きた二つの出来事。その意味、その落差を日本の学校では教わるのだろうか?」
当時のメモによると、取材は1時間の約束だった。それでもテュラム選手の話は止まらない。横に座るマネジャーに「後の予定はキャンセルして」と言い、話は続いた。
「フランス革命のときの人権宣言も世界では広く知られている。日本の学校でも習うと思う」
日本では中学校の教科書に載っている、1789年という年は暗記させられた記憶がある、自由・平等・人権・友愛、そして民主制といった言葉と共に。
そんなふうに答えていると、テュラム選手は続けた。
「確かに、フランス革命は世界史的な大事件だった。でも、自由と平等を旗印に市民革命が起きた当時、僕たちの先祖である黒人たちは奴隷として売り飛ばされていて、しかも当時、奴隷貿易はピークだった」
「奴隷が集められ、船に乗せられたアフリカの場所に行ったことがあるけれど、フランス革命の起きたパリは知っていても、あの奴隷貿易の基地の場所を知っている人は、日本にも欧米にもほとんどいないんじゃないか。そして思うんだけど、同じような例はほかにもいっぱいあるんじゃないか」
「例えば、1931年にパリで開かれた世界植民地博覧会もそう。そこでは黒人が展示品だった。いいかい? 生きた黒人が展示されたんだ。たった70年くらい前の話だ。それなのに、多くの人はその事実を忘れている。あるいは、そもそも知らない。このことが示している重大な意味を社会は理解しているだろうか」
「白人に生まれていれば」
テュラム選手が故郷のグアドループ諸島を離れ、フランス本土に移住したのは、9歳の時だ。
「故郷の島では、母親たちの世代はずっと、白人と結婚することが夢だった。白人と結婚すれば、それだけ子どもの肌の色が白くなる。僕の子どももあるとき、『白人に生まれていれば良かった』と言ったことがある。一度だけね。そのとき、僕は妻と一緒に息子と向き合って、じっくり、本当にじっくり話した。『どうしてそう思うのかい?』って。頭越しに怒ったりはしなかった」
「知っての通り、僕が母親ときょうだいたちとパリ郊外に移住してきたころは、本当に貧しかった。部屋は狭く、机もない。団地の階段を机代わりにしていた。パリの郊外って言えば、どういう場所か分かると思う。幸いにも、僕はサッカーがうまくて、プロになれて、収入がたくさんあって、いい暮らしができるようになった。でも、息子はこの先、どうなるんだろうと思うことがある。そして、ほかの子どもたちはどうだろうって」
W杯フランス大会で初優勝を果たしたとき、仏代表チームは豪華な布陣だった。中盤はジダンをはじめ、デシャン、プティ、ジョルカエフらの各選手で構成。守備はデサイーが統率し、前線にはアンリやトレゼゲらの点取り屋がいた。
パス回しは華麗で、スピード感も十分。一方で移民やその子孫も多いことから「ボールは十数秒で世界を1周する」とも評された。深刻な移民問題を抱えていたフランスは代表チームの進撃に沸き、民族の融和も進むという見方すら出たという。
「でも、サッカーはサッカーだ」
テュラム選手はそう言った。
「W杯の試合に勝ったくらいで、移民社会の現実が変わるわけがない。もっと本質的な問題がある。試合の結果に沸き立つだけでなく、それを僕たちはもっと知るべきだと思う」
世を変える知識伝える職業
そして、このあと、彼の口からあの言葉が飛び出したのだ。
「世の中を変えるための知識。それを伝えることができるのは、あなたのような職業、ジャーナリストだと思う。それと教育に携わる人たち。この二つの職業の重要性はもっと強調されていい」
このインタビューから4カ月後の2007年5月、フランスでは大統領選があった。その際、テュラム選手は当時内相だったサルコジ候補を人種差別的であると厳しく批判し、大きな議論を呼んだ。これに象徴されるように、テュラム選手は現役時代も引退後も社会への積極的な発言を続けた。
そして、彼の子どももまた、サッカー選手としての技量を父から引き継いだ。幼い頃、父母に「僕、白人に生まれたかった」と口にした、あの男の子である。
そのマルクス・テュラムはイタリアのインテル・ミラノで活躍しており、今年のW杯では仏代表に選ばれた。
代表での背番号は9。ポジションは父と違ってフォワードだが、人種差別に反対したり自国の極右政党の躍進に懸念を示したりと、社会に向けて積極的に意見を表明する姿も父親そっくりだ。
▼たかだ・まさゆき
1960年生まれ ジャーナリスト 2026年度から専修大学文学部ジャーナリズム学科特任教授および東京都市大学名誉教授 北海道新聞記者 高知新聞記者 東京都市大学メディア情報学部教授 放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会・委員長代行などを務める 04年に北海道警察裏金問題追及の取材班代表として新聞協会賞 菊池寛賞など受賞 著書に『調査報道の戦後史 1945―2025』『真実 新聞が警察に跪いた日』ほか 共著に『権力VS調査報道』『権力に迫る「調査報道」』『メディアの罠 権力に加担する新聞・テレビの深層』ほか
