取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
濱砂圭子さん マミーズサミット・全国ネット(マミサミ)理事長/見えない「声」を代弁(黒田 加那)2026年1月
「今の〝当たり前〟は私たちが作ったのよ!」。初めて会った時、開口一番の言葉と色鮮やかなスカーフが印象的だった。濱砂さんは、1993年にママ仲間と地域密着型の子育て情報誌を発刊。当時は同様の情報誌が、全国で続々と産声を上げていた。彼女の声がけで30年前にできた編集者同士のネットワークが「マミサミ」だ。催しのPRで来社したのをきっかけに、今では「娘のような友人」と呼ばれている。
壁はみんなで乗り越える
ワーキングマザーの大先輩から聞く30年前の話は衝撃的だ。例えば福岡市・天神のトイレ事情。デパートなど商業施設のトイレ入り口に設置されたベビーベッドに子を放置しなければ、用は足せなかった。出かける日は水も飲まない母親もいたと聞き、過酷さが目に浮かんだ。その後誌上でキャンペーンを張り、徐々に環境は改善。今では個室に乳児用椅子がある風景は珍しくない。
「女のわがままたい」。濱砂さんらが改善を訴える中で、何度もやゆされた。働く母親への風当たりが強い時代、幼い息子に嫌がらせの矛先が向いたこともあった。それでも諦めないパワフルさの半面、本人は「自分の力は高が知れている」と謙虚だ。壁はみんなで越える。マミサミの連帯が、世の中を変えた原動力だった。
それにしても、なぜ本紙が先に子連れトイレの問題を報じなかったのか。ふとつぶやけば、ぴしゃりと言われた。「母親が声を上げても、新聞が聞かなかっただけ」。ドキリとした瞬間、新人時代に受けた教えを思い出した。「記者は飲み屋に通え」。多様な人が集まり、社会の現状や問題が見えるという。私も行きつけの店を作った。そこでこそ出会えた人や情報もあった。でも平日夜の店にある〝社会の縮図〟は、多くの存在を欠く。子育てや介護などケア労働を担う人や子どもは、その一つ。見えない声を代弁したのは、新聞ではなく濱砂さんだった。
一方で、生活に身近な問題は読者の関心が高い。SNSで読者とつながるオンデマンド調査報道「あなたの特命取材班」に関わり、実感した。「初めて新聞ってすごいと思った」と10代の投稿者に言われた時は、希望を感じた。各紙とパートナーシップを結び、同様の企画に取り組む全国の仲間との連携も深めている。彼女との出会いは、取りこぼしてきたものを補完するこの取り組みの重要さを再認識させた。同時に問いを突きつける。30年前と比べ手軽に発信できる今、新聞の役割は何なのか。
背中を思い、ペンを取る
入社して以降、メディアを取り巻く状況は厳しさを増す。同業者を除けば、新聞を購読する知人はほぼいない。ネット上では「オールドメディア」と記事も見ずにやゆされ、胸が締め付けられる。必死に書いた記事は、本当に届いているのか。社内外で業界から去る者を多く見送った。私自身、明るい展望は持てない。
それでも、まだ諦められない。30年前の母親たちが壁を前にくじけていたら、現代で2児を育てる私の享受している環境はなかった。傷を負いながらも、仲間とともに歩み続けた姿。名もなき女性たちが、私に活を入れる。いつか私も胸を張って言いたい。少しでも良くなった社会を、次世代に引き継いだのだと。濱砂さんの背中を思い、今日もペンを取る。
(くろだ・かな 2015年西日本新聞社入社 佐賀総局 クロスメディア報道部などを経て 現在 報道センター遊軍)
