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被害者報道 考えるきっかけ(三浦 一久(下野新聞社))2022年4月

 こんな出会い方をした人は、35年の記者生活で他にはいない。

 2001年5月、宇都宮地裁。傍聴席にいた遺族に閉廷後、声を掛けた。名刺を差し出すと、喪服姿の女性の表情が変わった。

 「下野? 今まで何をやってたの。一度も取材に来ないで」

 厳しい口調に気おされ、ただ頭を下げるしかなかった。

 その人が和気みち子さん。前年の7月、介護士だった娘の由佳さん=当時(19)=は、栃木県氏家町(現さくら市)の国道4号で飲酒、居眠り運転の大型トラックに衝突され、命を奪われた。

 

■厳しい言葉は期待の裏返し

 

 裁判の夜、自宅を訪ねた。和気さんは事故の悪質さへの憤りとともに、由佳さんがどんな娘だったのか、日付が変わるまで克明に語ってくれた。深い愛情と悲しみが痛いほど伝わってきた。下野新聞は事故をわずか14行のベタ記事で伝えただけだった。あの厳しい言葉は、身近な地元紙への期待の裏返しだと気づかされた。その日から、交流は20年以上続いている。

 運転手の判決は懲役3年6月の実刑だった。「娘は帰らないのに、刑はこんなに軽い。法律は命の重みを反映していない」。悪質な交通犯罪の厳罰化を求める署名運動に参加した和気さんは、01年6月、遺族代表の一人として法務省を訪れ、法相に直談判した。37万人余りの署名と世論に押される形でその年の秋、刑法に危険運転致死傷罪が新設された。「由佳に『やったよ』って言いたい」。初めて心からの笑顔を見た気がした。

 05年の春、うれしい知らせが届いた。犯罪被害者や遺族をサポートする「被害者支援センターとちぎ」開設に当たり、初代事務局長に就任するという。自身が被害者遺族だからこそ、被害者の思いをより深く理解し、寄り添う支援ができる。最適の人選だと思った。

 

■被害者取材にマニュアルはない

 

 下野新聞社は新人記者研修として、被害者支援センターとちぎの見学と被害者の講話を聞く機会を設けている。「被害者がメディアから受ける二次被害をなくしたい」と願う和気さんの協力で実現した。全国の新聞社の中でも、まれな取り組みではないかと思う。

 「被害者は一人一人違う。報道に望むこともそれぞれ違う」。和気さんは常々、そう口にする。被害者取材にマニュアルはない。記者である前に、一人の人間として誠実に向き合ってほしい。そういう意味だと受け止めている。

 この春、和気さんは17年間勤めたセンターを定年退職した。栃木県の被害者支援の道を開き、その土台を支え続けてきた。「これからは一被害者として、被害者支援に関わっていきたい」と語る。

 多忙な日々は今後も続く。首相が会長を務め、6人の閣僚らそうそうたる顔ぶれが並ぶ「犯罪被害者等施策推進会議」に被害者代表として名を連ねる。全国被害者支援ネットワーク理事の仕事を続け、法務省の矯正教育にも関わる。

 「由佳のことを伝えていくのが供養。だから、活動に終わりはないんです」。その行動力の源泉には、「娘のために」という強い思いがある。講演をする際には、いつも由佳さんの等身大パネルを隣に置く。「パワーをもらえるから。一緒に頑張ろうって」

 被害者報道はどうあるべきか。和気さんは考えるきっかけを与えてくれた。これからも娘と共に歩んでいく姿を見つめながら、その答えを考え続けていきたい。

 

(みうら・かずひさ▼1995年入社 現在 報道センター長)

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