会見リポート
2024年10月15日
15:30 〜 16:30
10階ホール
袴田巖さんを追ったドキュメンタリー映画の監督 笠井千晶さん 会見
会見メモ
1966年に静岡県で発生した強盗殺人事件(袴田事件)で、死刑確定後に釈放され、先月26日にやり直しの裁判(再審)で無罪判決がでた袴田巖さん(88歳)。その半生をたどるドキュメンタリー映画「拳と祈り ―袴田巖の生涯―」が10月19日から公開されるのを前に、監督でジャーナリストの笠井千晶さんが登壇した。
笠井さんは新卒で入社した静岡放送で報道記者をしていた2002年に袴田ひで子さんと出会い、撮影を始めた。同社を退社してからも今に至る22年にわたりひで子さん、巖さんを撮影してきた。
会見では、取材をはじめたきっかけや第2次再審請求が認められ2014年3月に拘置所から出てきた日に巖さんとひで子さんとともに過ごしながら感じたことなどを話した。
報道の在り方についての質問に対して「事件当時は今の人権感覚からでは考えられないような、袴田さんを犯人視するひどい報道がされた。その後(動きがなく報道が)停滞したが、再審が開始され報道が過熱した。(この間の報道を)全体としてみると、真実は何かというよりもその時々の流れだったように思う」とした上で「真実は何かを見定め地道に報道する記者が増えてほしい」と述べた。
会見では映画のダイジェスト版も紹介した。
司会 井田香奈子 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞社)
※ゲストの希望により、映画のダイジェスト版はYouTubeの配信映像から外しています。
会見リポート
記録を映画に 後世に残す
大嶋 辰男 (朝日新聞社文化部)
すべてはここに始まり、ここに終わったということか。会見ではまず袴田事件を追った映画「拳と祈り」のダイジェスト版が上映された。
冒頭、取り調べの記録音声が流れる。「ふざけてるよ」「俺の一生をむちゃくちゃにしたのはあんたらだ」「一生忘れんぞ」――張りのある声。当時袴田さんは30歳だった。
映画を制作した笠井さんが「袴田事件」を知ったのは2002年、静岡放送の報道記者になって2年目だったという。事件は忘れられつつあったが、「確定死刑囚」という存在に衝撃を受ける。袴田さんの姉、ひで子さんに連絡をとった。深く長い交流が始まった。
「記録を映画にして後世に残さないと」と思ったのは10年前。再審が認められ、袴田さんが47年7カ月ぶりに釈放されたときだった。その夜、ホテルで袴田さんとひで子さんが枕を並べて眠る姿を見た。「こんなふつうのことがなぜ長年できなかったのか?という思いが湧きあがった」と話した。
逮捕から58年。検察は上訴権を放棄し、無罪を言い渡した静岡地裁の再審判決が確定した。同時に、捜査機関が証拠を捏造したと認める再審判決は、「到底承服できない」とする検事総長の談話も公表された。
「捜査に誤りはない」「判決がおかしい」と改めて主張することで検察は何を守ろうとし、社会はそんな検察の姿勢に何を見たのか。死刑囚の再審無罪判決は戦後5例目。強引な捜査や人質司法の問題を訴える声が絶えない。
会見の最後、笠井さんは検事総長の談話に触れて語った。「遅くはない。無罪が確定したからには、今後、二度とこういうことが起きないよう取り組んでいただけるものと期待している」
この22年間、戦いをつぶさに見てきた人だ。「期待する」という言葉には、笠井さんの「祈り」も込められていたに違いない。
ゲスト / Guest
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笠井千晶 / Chiaki KASAI
ドキュメンタリー監督、ジャーナリスト(Rain field Production主宰)