2016年06月28日 13:30 〜 15:00 9階会見場
著者と語る 阿部菜穂子さん 『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』

会見メモ

日本の桜を英国に紹介したイギリス人園芸家、コリングウッド・イングラムの生涯を描き、今年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』の著者、阿部さんが会見し、記者の質問に答えた。
司会 福本容子 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)


会見リポート

日英の架け橋となったイギリスの桜守

鈴木 嘉一 (読売新聞出身)

日本を代表する桜守として知られる京都の佐野藤右衛門さん(16代目)へのロングインタビューをもとにして2012年、筆者は『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』という新書を出版した。父親の15代目藤右衛門が戦前、日本では絶滅した品種で、白い花を咲かせる「太白(たいはく)」の穂木(接ぎ木に使う、新芽のついた枝先)をイギリスから苦労して取り寄せ、接ぎ木に成功したエピソードも短く紹介した。しかし、日本人以上に桜を愛し、桜の研究と保存活動に生涯をささげたイギリス人男性がいて、〝太白の里帰り〟に協力していたとは思いもよらなかった。

 

ロンドン在住のジャーナリスト阿部菜穂子さんの『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』は、日英の架け橋となったイギリスの桜守の知られざる軌跡を丹念に掘り起こした。この優れたノンフィクションが今年の日本エッセイスト・クラブ賞を受けたのも当然だろう。

 

主人公のコリングウッド・イングラム(1880-1981)は大英帝国の末期、裕福な家庭に生まれた。虚弱児だったため、豊かな自然に囲まれた海辺の別荘で育ち、野鳥の観察を経て桜への関心を深めた。明治から大正時代にかけて3度も訪日し、桜の希少種の穂木を持ち帰って、広大な庭園で生育した。「ジャパニーズ・チェリー」をイギリス全土に広め、地元では「チェリー・イングラム」という異名で親しまれた。

 

阿部さんにとっての桜とはご多分に漏れず、一斉に咲いて、パッと散るソメイヨシノだったが、イギリスでは花の色から形状、開花の時期まで異なる多様な品種に接した。日英の違いに思いをはせるうち、イングラムの名前を知った。駆け出し記者として過ごした毎日新聞京都支局時代、「疑問を抱いたら、その背景を徹底的に調べろ」とたたき込まれた経験から、イングラムの地元や関係者を訪ねて回った結果、〝宝の山〟に行き着いた。孫娘の1人とその夫が、訪日時を含めた膨大な祖父の日記や手紙、桜のスケッチ、写真、園芸雑誌の記事などの資料を大切に保管しており、「自由に使っていい」という許可を取り付けたのである。

 

阿部さんは「1人の園芸家の話にとどまらず、もっと壮大なドラマがあるんじゃないか」という直観に突き動かされ、日英両国でイングラムの足跡をたどった。訪日時の日記などを読み解くと、鳥類研究家の鷹司信輔公爵や帝国ホテル総支配人を務めた「桜の会」幹事の林愛作、東京の荒川堤に「五色桜」を植樹した舩津静作たちとの交流が浮かび上がってきた。さらに、伝統的な桜が明治維新後の近代化の波にのまれ、消えていったのとは対照的に、生長が早い〝クローン桜〟のソメイヨシノが政府の後押しで広まった事情や、桜が軍国主義イデオロギーに利用された不幸な歴史にも言及する。

 

「イングラムが自宅の庭で育てた桜は第二次大戦の時代を生き抜き、イギリスじゅうで多様な花を咲かせる一方、日本では戦後もヨメイヨシノ一色が続いている。多様な桜を愛したイングラムのメッセージをこの本に込めました」。阿部さんが強調した「多様性」とは桜の世界だけに限らず、「さまざまな価値観をお互いに尊重し合う社会」を示唆しているように聞こえた。

 

会場とのやり取りでは、毎日新聞の元京都支局長や社会部OBらが後輩の活躍をたたえ、和やかな空気に包まれた。イギリスでの出版予定を尋ねる声も出たように、日英をつないで、美しい花を咲かせる桜の物語は、ぜひイギリス人にも読んでほしい。


ゲスト / Guest

  • 阿部菜穂子 / Naoko Abe

    日本 / Japan

    ジャーナリスト / Journalist / Nonfiction Writer

研究テーマ:『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』

ページのTOPへ