取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
立石義雄さん オムロン元代表取締役社長/社長の思い、重責を学ぶ(丸山 美和)2026年6月
「さみしさよりも、役目を果たせてホッとしている」―。次期社長にバトンを渡すことを決めた当時のオムロン社長の立石義雄さんの言葉で、20年近く経った今も言葉とともに安堵した表情を時折思い出す。
人に手をつける断腸の思い
途中入社でまだ駆け出しだった私は驚いた。大企業のトップという座を降りれば取り巻きも変わり、さみしいだろうな、と思い込んでいたからだ。立石さんは「従業員だけでなく、その後ろには家族もいる。その人たちの生活も守らねばならなかった。倒産せず経営のバトンをつなぐことができて、ホッとしているんだよ」と柔らかな笑顔を見せた。その時、社長という仕事の大変さを知った。
社長交代の1年前。オムロンは2002年3月期に26期ぶりの最終赤字を計上し、構造改革の名のもと国内生産会社の閉鎖や早期退職を実施した。直後のインタビューで心境を聞いた時、珍しく語気を強め「経営者として人に手をつけるのは断腸の思い」と悔しさをにじませた。社長として忸怩たる思いに自分の考えが至らず、質問の仕方が軽率だったと反省した。結果として構造改革は一部の従業員も痛みを伴うこととなったが、それでも会社をつぶすわけにはいかないという責務との葛藤があったと理解した。
その後も社長交代の場面には多く立ち合った。新聞紙面には次の人物と交代の経緯が淡々と記され、この瞬間から前社長にはほぼスポットが当たらなくなる。だが経営を次に引き継ぐ背景には、社長をやった人にしかわからない思いや重責があると意識するようになった。
記者の言葉を聞いてくれた
私は現場の記者を長くやっているおかげで、大企業、中小企業の経営者や幹部だけでなく、現場の中堅社員や若手にも取材することができた。偏見かもしれないということを承知で、私が気付いたことは「出世して上に立った人、上に立つであろう人は礼儀正しい。相手の役職や年齢、性別などで態度を変えたりせず、かつ人の話を良く聞く」ということだ。当たり前と思われるかもしれないが、改めてそう思う。
あと、ここに記して良いかどうか本当に迷ったが、三菱重工業の元社長・佃和夫さんにも感謝している。東京に転勤になり、最初の担当が重工業で、佃さんは会長になられたばかりだった。重工業業界の知識もなく、何とかひねり出した取材依頼の内容は、数日後に他紙に出ている状態。信頼関係もなく業界をわかっていない記者からの取材依頼になかなか応えてもらえず、当時のデスクに「スクープを取って来い」と言われ続け、心身ともに疲弊した。そんな時に佃さんのもとに夜回りし「一生懸命勉強するので、私も他紙と同様、取材の土俵に乗せてください」とお願いした。佃さんは困惑されたと思うが、それ以降、取材が入るようになった。懸命に取材して原稿を書いた。後で知ったのだが(夜回りで懇願されたことを伏せて)、佃さんが取材対応するように現場に言ってくれたとのことだった。グッと心に刺さるものがあったし、一介の記者の言葉にも耳を傾け対応してくれたことに今も感謝している。
今、マスコミは「マスゴミ」などと揶揄され、記者希望は減っていると聞く。残念でならないが、いろいろな人の思いや考えを聞き、言葉を紡ぎ多くの人に伝える記者の仕事は面白く、やりがいがあると思っている。
(まるやま・みわ 2001年日刊工業新聞社途中入社 大阪支社や福山支局などを経て 現在 本社経済部記者)
