2015年12月08日 14:00 〜 15:30 9階会見場
著者と語る『戦後70年 保守のアジア観』 若宮啓文 元朝日新聞主筆

会見メモ

朝日新聞主筆を務めた若宮啓文氏が、2015年の石橋湛山賞を受賞した著書『戦後70年 保守のアジア観』(朝日選書)について話し、記者の質問に答えた。
司会 川村晃司 日本記者クラブ企画委員(テレビ朝日)


会見リポート

二階堂証言が投げかけるもの

五味洋治 (東京新聞編集委員)

『戦後70年 保守のアジア観』(朝日選書)は、1995年に最初の版が出版され、2006年にも改訂されている。20年かけて計3冊が世に出たことになる。内容をアップデートしながら、これだけ息長く読み継がれている本も珍しい。

 

私も最初の版を購入して、時々読み返してきた1人だ。それだけ、保守政治家たちのアジアへの姿勢が問われてきたという証拠だろう。2015年の第36回「石橋湛山賞」も受賞している。

 

筆者の若宮啓文氏は、朝日新聞の元主筆。戦後政治の現場に立ち会った。その体験も踏まえ、戦後保守政治家のアジア観を3つに分類している。

 

最初は「脱亜」を目指した吉田茂、「大アジア主義」の岸信介。最後は、日本の軍備拡張主義に鋭く警鐘を鳴らした「小日本主義」の石橋湛山だ。この3人の元首相の思想が源流となり、時に混ざり合って、保守政治家のアジア外交が組み上げられていった。

 

この日の講演でも紹介されていたが、本書のハイライトは、尖閣諸島をめぐる1つの「推理」だ。

 

1972年に田中角栄首相(当時)が訪中した。4回にわたり周恩来首相と首脳会談を行い、日中共同声明をまとめて国交正常化を果たした。

 

この会談で田中が、中国が領有権を主張する尖閣諸島への考えを聞いたところ、周は「ここで議論するのはよくない」と答えた。

 

このやりとりは広く知られているが、田中内閣の官房長官だった二階堂進はその後、朝日新聞の取材に対して、「私もこの会談に同席していた。田中は周に『尖閣周辺で石油の共同開発をしませんか』と持ちかけていた」と新たな証言をした。

 

若宮氏が取材を重ねると、この「共同開発発言」を裏付ける証言が出てきた。

 

詳しくは本書で確認してほしいが、すでに研究し尽くされたと思われる外交プロセスの中に、隠された場面があることを思い知らされた。

 

さらに、この発言は別の意味も持つ。

 

岸信介のアジア観を受け継ぐ第2次安倍政権では、日中、日韓関係が深刻な状態に陥った。危機的状況は脱したものの、ぎくしゃくとした関係が続いている。ところが、田中と周は、領土問題という最も敏感な問題で、本音の語り合いをしていた。

 

中国が日本を凌駕する経済力を持つ遙か以前の話だが、日本がアジアの国々、特に中国と韓国に向き合う時に必要なことは何かを示す、貴重なエピソードだと感じた。

 


ゲスト / Guest

  • 若宮啓文 / Yoshibumi Wakamiya

    日本 / Japan

    元朝日新聞主筆 / Former Editor-In-Chief of the Asahi Shimbun

研究テーマ:戦後70年 保守のアジア観

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