2015年05月18日 16:00 〜 17:20 10階ホール
クラブ賞特別賞対象作品上映会 「放射線を浴びたX年後」(2012年)

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会見リポート

終わらないビキニ事件 葬り去られた被曝船員を追う

井上 能行 (東京新聞論説委員)

タイトルの「放射線を浴びた」はビキニ水爆実験(1954年)による被曝だ。南海放送(愛媛県)が被曝船員や遺族を取材した作品で、日本記者クラブ賞特別賞受賞作だ。

 

上映前、パンフレットをめくっていて、プロデューサーの大西康司さんの文章が目に留まった。

 

「一人の人間に寄り添うことから本質へと迫る」…これはローカル局の〝限界〟ではなくローカル局だからできる〝可能性〟なのです。

 

監督したのは同社ディレクターの伊東英朗さん。幼稚園の先生から転職した異色のジャーナリストだ。2004年、車で4時間かけて高知県に住む元高校教師の山下正寿さんを訪ねたのが始まりだったという。

 

映画はビキニ事件が第五福竜丸だけの話でないことを明らかにする。日本政府が積極的に調べたのは、船体と魚の放射能汚染。船員はおざなり。米国から賠償金200万ドルを受け取ると調査もやめた。風評被害を恐れ、漁港では誰も被曝は口にできない。そんな時代だった。

 

被曝した船長の妻は「日本がやっと自分でつかまり立ちできるか、という状態のころでしょ。その柱は石炭と魚ですから」と当時を語る。

 

1988年に被曝船員の調査と救済を求めて、高知県ビキニ被災船員の会をつくった岡本清美さん。妻は岡本さんのお墓で「これは絶対、成功せんと言っていた。国が相手だから」と思い出す。映画にはお墓や仏壇がよく登場する。

 

前出の船長の妻は福島第一原発事故について「弱い者にしわ寄せが来るのは、いつの時代も一緒」と言った。私はこの春まで福島県で取材し、同じことを感じた。

 

だが、映画は現状を追認しない。聞き取り調査を終えた山下さんが、日本酒を飲みながらカメラに向かって語る。「(社会が)急に変わるなんて思ってないよ。谷川で赤いカニが穴をあける。それがセメントで固めた堰を切るときがある」


ゲスト / Guest

  • 南海放送「放射線を浴びたX年後」(クラブ賞特別賞対象作品)

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