2014年12月16日 14:00 〜 15:00 10階ホール
石原慎太郎氏 記者会見

会見メモ

政界引退を表明した石原慎太郎氏が会見し、議員生活の思い出などを語った。

司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞社)


会見リポート

政治活動46年に幕「死ぬまで人から憎まれていたい」

金子 秀敏 (毎日新聞出身)

前日、次世代の党からの会見申し込みを受け、緊急セットされたにもかかわらず、151人も集まった。46年前、参院全国区に初当選して以来、日本政界の最右翼で過激な発言を続けてきた石原氏。最後に何を言い残すか注目の的だった。

 

冒頭、石原氏は今回の総選挙で落選したことについて、解散時に引退するつもりだったが若い同志から応援を頼まれ、あえて比例代表名簿最下位で出たと釈明した。落選という幕引きが石原氏の自尊心を傷つけるのだろう。石原家は甲州武田武士の末裔であり、「いささか恥ずかしい落選という形の討ち死にをすることも宿命」と微妙な心境を語った。

 

これだけ言った後は、意外なほど淡々とした感想になった。「歴史の十字路に自分の身をさらして立つことができたのもうれしい経験だ。いま晴れ晴れとした気持ちで去れる」

 

自身を「専業政治家」というより「政治に参与した物書き」と規定していた。「心残りは」と司会者に聞かれて、「憲法の一文字も変えられなかったこと」と答えたが、その理由も「物書き」らしく「前文の醜さ、助詞の使い方の誤り」だった。

 

だが、現実政治の分析は明快だった。「格差が開き、20歳~30歳代に希望がない。漠とした不満のリアクションが今回選挙の共産党の躍進だ。株価が上がったから経済がよくなったと判断できない」

 

中国人記者が尖閣諸島購入などで質問を浴びせると、「シナは……」と挑発的な対応をしたが、かつて青嵐会で日中航空協定締結に反対していた頃、周恩来首相(当時)が訪中した財界人に「青嵐とは美しい言葉だ」と評価したというエピソードを挙げた時は、「シナ語で」と言って、すぐ「中国語で」と言い直していた。

 

会見の最後の言葉は「死ぬまで人から憎まれていたい」だった。


ゲスト / Guest

  • 石原慎太郎 / Shintaro Ishihara

    日本 / Japan

    次世代の党最高顧問 / former Diet member and Tokyo governor

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