2011年10月17日 14:00 〜 15:30 10階ホール
シリーズ企画「3.11大震災」開沼博 東大大学院博士課程在籍

会見メモ

「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」で福島原発と共生してきた地方を描き話題となった開沼博さん(東京大学大学院博士課程)が、3.11前と3.11後のフクシマを語り、質問に答えた。


開沼さんによると、「『フクシマ』論」の書名は3.11後につけたもので、原題は「戦後成長のエネルギー 原子力ムラの歴史社会学」だった。「戦後の成長とは、地方の植民地化だった」という仮説に立ち、だれも見ようとしない福島原発の地元を歩き、ひずみや問題点を調べたと研究のねらいを説明した。植民地にみられる「自発的服従」の構造を福島に見出し、原子力は地方に「都会」をもたらすブランドとして機能した、という。その上でこれからの課題として、①中央の側から原発問題を消費している一方、地方側の抑圧や欲望が見過ごされている②合理的ではないが「大丈夫だ」という「信心」が続いている――と指摘。1年前の関心事は「普天間」だったように、原発問題も「忘却」されるかもしれないのが一番の問題ではないか、と述べた。


開沼博さんのツイッタ―

https://twitter.com/#!/kainumahiroshi


会見リポート

「ムラ」の主体性説き明かす

河原 仁志 (共同通信編集局次長)

3・11以後、原発関連地域で争われた山口県上関町と北海道岩内町の町長選挙は、いずれも原発容認派が勝った。東京に本社を置くメディアはほぼ一様に、これほどの事故があってもなお、と驚いてみせたが、地域の「原子力ムラ」の深層をしっかり説き明かした記事はほとんどなかったように思う。


原発事故前にあらかた書き上げたという氏の著書「『フクシマ』論」には新聞が書けなかった「ムラ」のからくりが詳述されている。この日の講演は、その要旨を本人が語るというおもむきだったが、事故から7カ月が経過してさらにその内容に自信を深めているようにみえた。


中央と立地地域の2つの「原子力ムラ」を分析した氏が最も強調しているのは、立地地域の「ムラ」の主体性だ。メディアがとかく被害者的に扱う立地地域の「原子力ムラ」が必ずしも受け身ではなく、むしろ「疲弊」と「困窮」から脱出する媒介として原発を「自発的に受け入れてきた」と主張する。コメづくりに向かない土壌、近代技術に淘汰されていった塩田事業、福島県内の所得格差などの地域事情を背景に、地元の人たちの多くが自らの意思で原発を引き受けていったという分析は、自身が福島原発の隣町(いわき市)出身であることを踏まえれば一層の説得力を持つ。


無論、地域の責任を自虐的に指摘しているのではない。その言説の底流には、「中央から地方へ押し付けた」という単線的な視点で原発問題を見ていては、今後のエネルギー政策や日本の将来設計に「解」は出てこないとの思いがうかがえる。


27歳といえば一定の知見を積み自己主張したい盛りの年齢だが、語り口は終始抑制が利いていた。質疑の最後で「あなたは脱原発を唱えるのか」と問われたときのこと。「何々がダメだと言うことで見えなくなってしまうものがある」。一瞬、社会学者としての強い自戒をのぞかせた。


ゲスト / Guest

  • 開沼博 / Hiroshi KAINUMA

    日本 / Japan

    東京大学大学院 学際情報学府 博士課程在籍

研究テーマ:シリーズ企画「3.11大震災」

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