会見リポート
2009年03月25日
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ガーニム・アルワン・アル・ジュマイリ・駐日イラク大使
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会見リポート
国交70年─交流を深化させたい
山科 武司 (毎日新聞政治部副部長)
それが、イラクのクウェート侵攻(90年)とそれに続く湾岸戦争で断絶したのは記憶に新しい。大使が、日本の経済制裁履行に触れ「『問い合わせに応じられない』とイラク側に返信するだけでも制裁違反になるかもとしていた」と述べたのは、あまりにも忠実に制裁を守った我が国へのささやかな皮肉だったか。
イラク戦争の大規模戦闘終結後の03年から、筆者は何度かイラクで長期取材する機会に恵まれた。大使の言葉通り、英語を解する中流階級の人々も多く、美味なるイラク料理を楽しむ機会は多かった。ただ人々は度重なるテロや治安を回復できない米軍にいらだち、苦悩していた。
03年8月、自爆テロに襲われた直後の宗教都市・ナジャフを訪れた際には、無残に破壊されたモスクを黙々と片づける数千の人々の視線を一身に浴びた。彼らは怒りの声をあげるでもなく、その場で唯一の異邦人である私をただじっと見つめていた。その姿が、深い悲しみを雄弁に物語っていた。復興に向けて苦闘するイラクに関する報道に接するたびに、彼らの視線がよみがえる。
大使は「イラクの若者たちに日本の文化・社会に触れてもらって交流を深めてもらいたい」とも語った。陸上自衛隊が進出した南部バスラで取材した時のこと。サッカー好きの高校生、アッバス君に「ナカタ(中田英寿選手)を知ってるか」と話しかけられて仲良くなり、私は日本のサッカー雑誌とボールを贈った。
彼は今も元気に球を蹴っているだろうか。大使の話を聞きながら、アッバス君の顔が浮かんだ。
ゲスト / Guest
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ガーニム・アルワン・アル・ジュマイリ
イラク / Iraq
駐日イラク大使 / Iraqi Ambassador to Japan