2005年02月23日 00:00 〜 00:00
クルシード・マフムード・カスリ・パキスタン外相

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会見リポート

「核技術」流出に質問集中

吉野 蔵一 (日本経済新聞アジア部)

「今やわが国の核は完全な文民統制下にある」──。昂然と顔を上げ、核管理の安全性を懸念する質問を一蹴した外相を見て、パキスタンという国がこの数年で果たした国際的地位向上の跡を見る思いがした。

1998年の核実験、99年の軍事政権樹立と続いた同国の政治は、当然のように国際社会の批判を浴びた。冷戦下では旧ソ連の南下を阻む橋頭保として、パキスタンを水面下で支援してきた米国も、手のひらを返した。主要国の制裁下で経済面でも行き詰まりが表面化。同国の国際的な地位は退潮を余儀なくされた。

2001年9月。米同時テロ事件が、起死回生の転機となった。ブッシュ米大統領の「対テロ戦争」への支持をいち早く打ち出したパキスタンは「核を持つ軍政国家」から一転して称賛の的となり、国際援助の復活で、経済も一気に好転局面に入った。翌年10月実施の総選挙後に、まがりなりにも民選政府を発足させるに及んで、ほぼ完全に国際社会の枠組みに復帰したのである。民政復帰と同時に現職に就いた外相の言葉に、意気消沈したひところのパキスタンをうかがわせる影は微塵もなかった。

しかし、核保有国であること、軍部出身であるムシャラフ大統領への権力集中など同国がなお幾つかの問題点をはらむことを想起せずにはいられない。外相は、かつて自国の核技術が北朝鮮に漏えいした事実を認めながらも、国際機関による関係者への尋問をあらためて拒絶。「今はNPT(核拡散防止条約)に署名する意図はない」とも断言した。「日本はパキスタンの友人」なのだという。「友人」日本としてはまだ、パキスタンの行く手を手放しで楽観するわけにはいかないようだ。

ゲスト / Guest

  • クルシード・マフムード・カスリ / Mian Khurshid Mahmud Kasuri

    パキスタン・イスラム共和国 / Islamic Republic of Pakistan

    パキスタン外相 / Foreign Minister

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