2013年05月15日 12:00 〜 13:30 10階ホール
申珏秀 駐日韓国大使 昼食会

会見メモ

2年の任期を終え、5月下旬に帰国する、申珏秀・駐日韓国大使が会見し、日韓両国新政権下での、二国間関係について話した。

両国の過去史(歴史)問題については、日本は東アジアで大きな役割を担っており世界で通用する認識を尊重すべきである、と述べた。

村山談話修正への動きに対しては、韓国政府は強く反対する立場をとっている。日本の歴代政権はこの談話を踏襲してきており、修正の動きがでることは、二国間の不安定要因になる、と。

司会 日本記者クラブ企画委員 山岡邦彦(読売新聞)

通訳 ビョン・ソンキョン(駐日韓国大使館)

就任から約一カ月で会見した際のページはこちらから。(2011年7月11日)

http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2011/07/r00022998/


会見リポート

21世紀の「新しい日韓関係」への視線を

久保田るり子 (産経新聞外信部編集委員)

離任会見を静かに語り始めた申珏秀大使は、両国関係の「現住所」を「不透明な北東アジア情勢のなかで、日韓関係は選択ではなく必須の時代」と位置付けた。

日本での2年余の勤務期間、日韓関係は「未来志向」とはほど遠かった。ソウルの日本大使館前に慰安婦少女像が建立され、慰安婦問題をめぐって日韓首脳会談は激論となった。李明博前大統領は竹島に上陸し、日本は国際司法裁判所提訴を視野に入れた。双方の政権が交代したが、閣僚の靖国参拝問題などで新政権の日韓外交はいま、凍結状態といっていい。

そんななかでの昼食会で申大使は、日韓の60余年を、国交正常化までの「対立と葛藤の時代」、ソウル五輪(88年)までの「冷戦下、政府主導の時代」、2000年初頭からの「民間交流と多元化の時代」とパラダイム(規範)の変化でくくってみせた。それは両国が乗り切ってきた激動の時代である。「過去」に足をとられている両国の溝が深いといっても、戦後日韓史の振幅ほどではないのだ。外交最前線に立ってきた大使は歴史を語ることで「21世紀の新しい日韓関係」への視線を日本に促したかったのだろう。

歴史問題については、朴槿恵政権の対日観をにじませて「日本はこの地域の平和と繁栄を守るリーダーになるべきだ。過去史の解決はアジアの国々と友好関係を強固にしていく出発点であり、日本の平和と繁栄を担保する道である」とスピーチをしめくくった。

日本勤務の最後に選んだ仕事は、東日本大震災の被災地と東京電力福島第一原子力発電所を訪問することだった。2年前、着任して真っ先に訪れたのも震災直後の岩手、宮城、福島3県だった。韓国メディアにその心境を「日本人に『日本のそばには韓国がいる』と伝えたかった」としたその言葉が印象的だ。

ゲスト / Guest

  • 申珏秀 / Shin Kak-Soo

    韓国 / Korea

    駐日大使 / Ambassador to Japan

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