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売春汚職事件巡り記者逮捕/取材源開示を迫った検察/風呂敷包みに眠った核心(滝鼻 卓雄)2023年10月

 私の本棚の隅にぎゅっと縛った風呂敷包みがあった。

 今から40年近くも前のことである。大先輩の司法担当記者から受け取っていた。中身については、だいたいの推測はついていた。

 1957(昭和32)年、東京地検特捜部が摘発した「売春汚職事件」を巡って、読売新聞の社会部記者が名誉棄損容疑で逮捕された。そのこと自体は、当時すでに「不当逮捕ではないか」と、ジャーナリズムの世界で批判されていた。容疑名は名誉棄損だが、検察の真の狙いは、書いた記者のニュースソースを洗い出すことだった。

 問題になった記事は、57年10月18日付読売朝刊で、「売春汚職 U、F両議員を収賄容疑で召喚必至」という見出しで報道した。二人の議員は読売と検察庁の幹部を名誉棄損で告訴した。これが「不当逮捕事件」の始まりだった。

 私が論説委員だった頃、検察庁内部での権力闘争(政治的な動きをするグループと特捜事件に集中するグループとの派閥抗争)を取材していた際、「売春汚職事件」の経緯に注目していた。その時すでに退社していた先輩記者から渡されたのが、その風呂敷包みだった。

 ノンフィクション作家の本田靖春さんが『不当逮捕』を書いていた。売春汚職事件の時はまだ若手検事で後に検事総長に就いた伊藤栄樹さんも「秋霜烈日」というコラム(朝日新聞)の中で、記者逮捕の狙いについて触れていた。でも実名は避けていた。

 

取り調べ内容の詳細なメモ

 風呂敷包みを開けて驚いた。先輩記者は逮捕された記者から編集局長まで、東京高検による取り調べ内容について克明に詳細にメモを取っていた。そのノートによると高検検事長から取り調べ検事に至るまで、捜査の焦点は、名誉棄損の立証ではなくて、取材記者のニュースソースの割り出しに集中していた。

 逮捕された立松和博社会部記者は、検事からニュースソースを聞かれても、一貫して具体的な供述を拒否し続けた。

 立松記者は検事の執拗な取り調べに対し、特にニュースソースについて次のように供述している。

 「この事件の捜査関係者に会ったか、会わないかという点についてはお答えできない。しかし、この事件を捜査している官庁からみて、ご推察いただく以外にはありません。問題の記事を取材執筆したのは全部私です。あの材料を手に入れたのは記事を書く2、3日前だったと記憶しています。ニュースソースは言わなかったが、滝沢君(一緒に取材した司法記者)に概略を話すと、同君が〝すげえ〟と喜んでくれたのを覚えています」

 

「記者に秘匿する権利ない」

 立松記者に対して、高検は連日3人の検事が取り調べに当たった。それも検事長の指揮の下で、何回も繰り返しニュースソースを言えと迫った。立松記者は24日夜になって逮捕され、丸の内警察署に留置された。

 先輩記者のメモによれば、検事長は記者会見で驚くべきことを述べていた。「ニュースソースつまりどの検事から聞いたかを言えば、数時間で片付く」「新聞記者がニュースソースを秘匿する権利は許されない。そんな慣習は打破されるべきだ」

 高検の捜査は事実上、二人の国会議員の名誉が傷ついたかどうかではなくて、立松記者にネタを漏らした検事はだれかの調べに移ってしまっていた。

 当時の景山社会部長の供述内容も興味深い。

 「ニュースソースというものは、新聞記者は同じ仲間、あるいは一緒に仕事をしている同じ社の同僚にも言わないものである。原稿に不審があれば、もちろんデスクはそれを正すが、その記事を誰から聞いたかというニュースソースについては、いちいち聞くものではないし、たとえ聞いても、記者は明かさないのが、新聞記者の道義である。私は80人の記者を信頼しているからこそ、毎日のたくさんのニュースを扱えるので、この場合も、別にニュースソースを聞かなかった」

 当時の立松記者は、2年間の病気休暇が明けて、社会部に復職したばかりだった。でも特捜部が手掛けた数々の疑獄事件でスクープを連発した過去があり、社会部長は病み上がりの立松記者を起用したのだろう。

 高検検事は執拗に社会部長に迫っている。検事「その後立松記者にニュースソースをただしたことはないか」。社会部長「別にない。私が聞いたとしても彼は言わないだろう」。

 高検は小島編集局長、社会部長、社会部次長(デスク)、立松、滝沢ら社会部記者4人から連日取り調べを続けた。取り調べの焦点は、二人の国会議員の名誉権が侵害されたかどうかではなくて、立松記者のニュースソースを特定することに絞られていた。

 

検察の派閥抗争が本質

 なぜか。答えは極めて簡単である。二人の国会議員が赤線業者の団体から金銭を受け取り、近く検察当局が強制捜査に乗り出す、という偽情報をでっち上げ、誰かが赤レンガ(法務省のこと)の幹部に流した。その幹部に接触した記者がガセネタを信用して、原稿を書く。

 そこまでは検察内部の派閥である政治的に動くグループの思惑通りだった。そして立松記者を名誉棄損容疑で逮捕した。

 ところがその段階で高検検事長を頂点とする検察の追及は、「ニュースソースの秘匿」という壁にぶち当たった。動揺した検事長は「新聞記者にはニュースソースを秘匿する権利はない」と前述のような発言までしてしまった。

 一方で特捜事件に注力していた派閥、その中の有力検事がガセネタを受け取った検事だった。検事長派は読売側からニュースソースを割り出し、ガセネタを漏らした特捜派の有力検事を公務員法違反(秘密の漏洩)で追及しようと企てたらしい。さらにその奥には、検事総長ポストをめぐる抗争があり、結局、偽情報の流出という汚い手段を使った検事長派は検事総長レースに破れた。

 検察内部の派閥抗争は、立松事件の当時は「うわさ」の範囲内だったが、その後の出版物や伊藤栄樹さんのコラムなどを総合して考えると、確かな筋書きだったと、私は確信している。

 読売新聞は立松記者が書いた記事について、その後「U、F両代議士 事件には全く無関係」という見出しの記事を掲載した。事実上の訂正記事である。これを受けて、東京高検は事件を不起訴処分にするとともに「所信と見解」という、異例の発表文を公表した。その骨子は

 「立松記者の逮捕は異例でもなく、不当でもない」「同記者は単独で取材、執筆したと供述しているが、他にも何人かの協力者すなわち共犯があることが推知されたし、被疑者とされている小島編集局長の関与の程度等が判然としなかった。立松記者の身柄を拘束しないときは、関係者との通謀により証拠隠滅の恐れがあった」

 「記者がニュースソースを秘匿したから逮捕したという宣伝が行われたが、誤解である」

 その上で高検は、ニュースソースを明らかにしないことで、記事には客観的にも主観的にも真実の合理的な根拠がないと断じた。

 私は立松記者のニュースソースに直接会って、確かめる機会をすでに失っている。また、偽情報を法務省の刑事局幹部に流した人物も特定できていない。ただし、伊藤栄樹元検事総長のコラム、直接会っての話などを総合的に判断すると、前述のような筋書きが見えてきた。

 

全体像を書くべきだった

 しかし、反省すべきことは、売春汚職事件、二人の国会議員の召喚必至(記事)、立松記者の逮捕、偽情報のルート、検察内部の派閥をきちんとした形で新聞に書かなかったことだ。あえて弁解すれば、関係者の多くの方々がすでに他界していることもある。風呂敷包みを渡してくれた先輩記者も13年前に亡くなってしまった。ページをめくっただけでバラバラになりそうなメモ類、原稿、高検の発表文を前にして息を止めて読み込んだ。

 ニュースソースという新聞記者にとって重い課題。これからも考え続けていきたい。

 

 1939年東京都生まれ 63年読売新聞入社 論説委員 社会部長を務めた 記者生活のほとんどが司法記者 四大公害事件 サリドマイド事件 ロッキード事件 ダブラス・グラマン事件などを取材 2004年から読売新聞東京本社社長 07年に会長に就き並行して読売巨人軍オーナーも務めた 13年退社 05年から09年まで日本記者クラブ理事長 著書に『記者と権力』

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