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震災を追い続ける/復興の現実 ぴかぴかの過疎/小さな動き重ね 地域の自立を(東野 真和 朝日新聞社編集委員兼釜石支局長)2023年3月

 「復興」を「復旧」と言わないのは、単に被災規模だけでなく、「前より良くなる」という意味が含まれていると私は解釈します。東日本大震災復興基本法には基本理念として「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策」を「二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿」を目指して行うと記しています。増税してハード整備をするための方便と見る人もいます。だとしても、この理念を盾に手詰まり感のある日本が変わることはできる。私は期待しました。

 政治は中央集権的であり、民間資本も東京に集中しています。被災した地域は、震災前から主体性を持てませんでした。「大都市に搾取されている」と言う一方で、依存体質があることも否めませんでした。

 

これが日本のモデルなのか

 震災をきっかけに新しい発想や知恵がこの地域に生まれ、人の流れが変わり、少しでも自立に向かうのではないかと願いました。「スクラップ・アンド・ビルド」は、今ある物や秩序を壊すことが大変ですが、壊滅状態になった被災地ならむしろ改革しやすいはずです。

 しかし今、目の前にあるのは、前よりさらに活気を失った「ぴかぴかの過疎」です。人口減は加速し、空き地が目立つ町。そこに記録的な不漁やコロナ禍が重なり復興を妨げています。ハードは設計通り造ればできますが、その器に盛る中身は時間をかけた試行錯誤が必要なのです。

 復興マネーは一時的に土木・建設業やサービス業などを潤しても、後に続く新しい産業をまだ残せていません。これが法律にある21世紀半ばの日本のモデルなのでしょうか。

 復興予算を握るのは国。膨大な事業費は被災自治体の財布を通過するだけで、当時の大槌町長は「使えない財布を持たされた」と吐き捨てました。防潮堤建設、宅地開発、区画整理など地元の土建屋ではできない工事です。ゼネコンやコンサルが受注し、地元業者は孫請けくらいでした。

 復興機運を盛り上げるイベント、被災者への慰問などの事業も国の補助金や民間の義援金などで行われました。それができるのはお金を取るノウハウを知り、人脈もある人たち。地元団体は「言い訳のように加えてもらえる程度」とこぼしました。

 

大槌のジビエ事業 移住促進

 それでも、小さくても新しい芽やその胎動は少なからず感じます。獣害を町の財産に変えようという大槌町の動きは一例です。野生のシカ肉を売り、命の大切さを知るツアーを組んでいます。同様の試みは全国にありますが、くせのない味にする技術や、撃つ瞬間から食べるまでを一貫して体験できるプログラムなど、独創的な内容が評判で、若者が次々と移住して従事しています。

 これだけで人口減が食い止められたり、町が活性化したりはしません。ただ、何千人の雇用を生む工場の誘致ではなく、小さな動きが何十、何百と重なることで地域の主体性が高まり、自立に近づくのでは。そう考える私は浅はかでしょうか。

 うまくいく事業は、住民の強い思いだけでなく、実現への手段を考える「よそ者」と、後押しする自治体職員がかみ合っています。詳しくは私の記事を読んでいただきたいですが、大槌町のジビエ事業はその典型例です。熱意を形にする知恵と腰を据えた支援体制が必要なのです。

 震災後数年は、NPOなどでそんな動きが一定の成果をあげていましたが今こそ大事な時です。ハード整備に使った何千分の一のお金と、関わりたいという人がいればできます。「震災」と書くと読まれないと言われる昨今ですが、そういう動きを今後も私は追っていきます。

 

ひがしの・まさかず▼1988年入社 社会部 政治部などを経て 東日本大震災後に大槌町に3年 熊本地震後に南阿蘇村に2年駐在 朝日新聞デジタルで「やっぺし」を不定期連載中 2020年秋から現職

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