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福島県双葉町の一部避難指示解除へ/町民の希望・苦悩 伝え続ける(福島民友新聞社勿来支局長 本田 武志)2022年3月

 2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11年となる今年、全ての町民の避難が続く福島県双葉町をはじめ帰還困難区域の一部で、初めて住民が帰れるようになる。しかし、生活環境は復旧の途上で、地域コミュニティーも失われたまま。そのような古里へ帰還を目指す避難者が苦悩しながらも、また一つ歩を進めようとする姿に、復興道半ばであると改めて痛感する。

 避難指示が解除されるのは、帰還困難区域のうち、除染作業や建物の解体などが進められている特定復興再生拠点区域(復興拠点)。帰還困難区域がある7市町村のうち、大熊、双葉、葛尾の3町村の復興拠点全域が解除される見通しだ。解除の目標時期は大熊町と葛尾村が春ごろ、双葉町が早くて6月となっている。

 ここでは記者が担当する双葉町の現状を報告したい。同町の復興拠点の面積は、町の総面積5142平方㌔の約1割に当たる5・55平方㌔。東京都千代田区の半分ほどの広さに相当する。JR双葉駅を中心とする復興拠点には昨年12月1日現在、町民5657人のうち約6割の3397人が住民登録をしている。

 

「やっと」でも描けぬ未来

 

 双葉町の復興拠点全域には自由に入ることができ、街の変化をつぶさに見ることができる。双葉駅東側では、町役場の8月下旬業務開始に向け、仮設庁舎の建設が始まった。初発神社は社殿の修復を終えてひっそりと住民の帰還を待ち、街のそこここには都内のアーティストや町民有志が制作した壁画があって来訪者を驚かせる。駅西側では、10月の入居開始へ、公営住宅の整備が進む。

 帰還に向けた準備宿泊は1月20日に始まった。2月15日現在の申込数は延べ15世帯21人。このうち、連日宿泊してるのは3世帯ほどにとどまる。町内には、食料品や生活用品などが十分にそろう商業施設、医療機関、学校などがまだなく、近隣の自治体へ出向かなければならない。

 準備宿泊に参加しても、希望だけが見えるわけではない。初日から準備宿泊に参加した男性は「やっとこの日が来た」と喜ぶ一方、11年近くたっても当たり前の生活ができないことへの怒り、古里の明るい未来が描けぬことへの不安など、複雑な感情にさいなまれ、「戻る方がおかしいのかもしれない。でも、何とか頑張りたい」と自らに言い聞かせていた。

 復興拠点から外れ、家屋や田畑が放置されたままとなっている帰還困難区域の現状はさらに厳しい。政府は昨夏、希望する全ての住民が2020年代に帰還できるよう必要な箇所を除染し、避難指示を解除する方針を決めた。ただ、帰還する意向がない家屋や土地の対応は決まっていないため、帰還の意向の有無が除染範囲の決定に関わり、帰還する人と帰還しない人との間で分断が生じるのではないかとの懸念がある。

 

「元の形にしてから調査を」

 

 昨年12月に開かれた双葉町行政区長会では、復興拠点外の地域の区長が、町執行部や内閣府原子力被災者生活支援チームに対し「田んぼに木が生えている光景を見て、帰りたいと思う人はいない。元の形に戻してから意向調査をしてほしい」と求めた。涙をこらえながらの訴えは、復興の枠組みから取り残されてきた悔しさを察するに余りある。

 帰還困難区域の避難指示解除は復興への大きな一歩だが、避難者は局面の変遷に関わらず、悩みや苦しみを抱え、今を生きている。地元紙として、複雑、多様化する復興への課題を多角的な視点で検証することはもちろん、できることならば一人でも多くの避難者が、それぞれの環境の中で希望が持てるよう寄り添い、その歩みを伝え続けたい。

 

ほんだ・たけし2008年4月入社 整理部(現編成部) いわき支社報道部 猪苗代支局長 福島県政記者クラブ 18年4月から現職

 

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