ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


3・11から10年(2021年3月) の記事一覧に戻る

あの日から続く震災写真報道/時代に応じ、風化に抗う(毎日新聞社写真映像報道部長 平田 明浩)2021年3月

 10年前のあの日、その年の新聞協会賞を受賞することになる東日本大震災の大津波を撮影して以来、毎日新聞社の震災写真報道は続いている。ただひたすらに被災者に寄り添う気持ちを大切にして今日まで継続している。

 発災直後に取材を通して交流が始まった人のその後を、定期的に報告してきた連載企画「見つめ続ける」を昨年10月から始め、12組の人たちを取り上げている。

 

■人と被災地の変化を追う

 

 初回に掲載したのは「配給をもらう列に走る少年」だ。この少年を取り上げるのは、これで4回目。掲載後にいただいた多くの反響から、読者も少年の成長と被災地の移り変わりを、自らが過ごした時間に重ねるように「見つめ続けて」いるんだなぁと改めて感じている。可能な限り映像も制作し、デジタルサイトでは、より被災地の今が伝わるように工夫した。こうした取材活動の中で、取材者を介して、読者と被災者の交流が始まった事例もある。

 

■デジタル活用で継続発信

 

 また、デジタルでは震災の記憶を風化させないように、膨大な写真アーカイブの中から、過去の同日に被災地で撮影した写真を選び、毎日更新する「あの時の『きょう』」も展開した。多くの写真を一覧できるデジタルの特性を活用し、過去の写真資料を生かした。目的は震災の記憶を風化させないことだ。この企画は我々が普段都合よく使ってしまう「10年の節目」や「復興五輪」という言葉に違和感を覚えた写真記者の発案だ。昨夏は本来であれば、五輪が東京など各地で開かれ、祭典ムードに包まれるはずだった。ことさら「節目」に騒ぐのではなく、五輪期間中を含め、1年間連日更新することを主眼としている。

 この10年で、我々メディアの発信方法は大きく変わった。今回の取り組みは、その変容ぶりを再認識するきっかけになった。震災の記憶が、若い世代にも受け継がれるように、これからも変革を続けながら震災報道の姿勢を貫きたい。

 

 ひらた・あきひろ▼1991年入社 中部本社 北海道支社 東京本社で写真記者 2017年4月より現職

ページのTOPへ