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私とベトナム⑤ もう一つのベトナム戦争~ベトナム留学生のこと~(田中 信義)2012年6月

今年4月30日ベトナムは37回目の解放記念日を迎えた。かつてのサイゴン、現在のホーチミン市では29日解放を祝う大集会が開かれ、今年はグエン・タン・ズン首相が演説した。首相は国民の団結国家発展のための努力を訴えた。

毎年この日を迎えると、いろんなことを昨日のように思い出す。

37年前、私は解放直前のサイゴンに、ジャカルタから応援取材に駆けつけた。そして南ベトナムが崩壊する様を中部高原でまざまざと目の当たりにし、国が亡びるというのはこんなにももろいのかと実感した。その時の中部高原バンメトットから南ベトナム軍兵士が北ベトナム軍に追われ、我先にサイゴンに向かって国道1号線を逃げてくる姿を、はっきりと思い出す。兵士を満載した軍トラック、オートバイにのった兵士を一般難民が恨めしげに眺めていた。兵士に聞くと、サイゴンまで逃げろとの命令がでた。訳が分からないとまくし立てていた。

記念日を迎えるたび、あの兵士の不安そうな顔を思い出す。あの兵士はどうしただろうか。


その後、私は1989年東海大学の教員となった。ここでもベトナム戦争をテーマに講義するなど、ベトナムにこだわり続けてきた。国際交流にも関わり、ベトナムを再訪する機会もあった。20年ぶりに訪れたサイゴンの変わりように驚いた。30年ぶりに訪れたサイゴンでは、すでにベトナム人の中でもベトナム戦争を知らない世代が成人となっていた。


国際交流に関わっていたとき、一人のベトナム人と知り合った。タイ・バン・トーさん。フアンシーショップの店長をしていた。元ベトナム留学生でベトナム留学生会という組織を作り、中心メンバーの一人として活動していた。


サイゴンが陥落したとき、東海大学には44名のベトナム留学生が在籍していた。タイ・バン・トーさんの後輩だ。彼は当時のことを話してくれた。


44名のベトナム留学生は南ベトナムからの留学生だった。ベトナム戦争のさなかに日本に留学し、アルバイトしながら生活費や学費を稼いで学生生活を送っていた。75年に入ってから、故国からの送金は完全に断たれ、勉学も不可能の状態が続いていた。


留学生教育センター20年史(1987年)は、その時の模様を詳しく記録している。44名の学生たちは連名で、当時の松前重義総長に、4月20日付で要望書を提出し、窮状を訴えた。要望書は次のようにのべた。


「学費生活費の送金は一昨年からほとんど途絶え、すべてアルバイトで作り出さねばなりません・・44名の中29名の授業料滞納者を出しています。そのうえ、今年の4月からは、サイゴンに生家がある者でも送金は途絶え、今年からは44名全部がアルバイトで学費はもちろん、生活費も作りださなければならない状況です。このような状況の中、私たちが本学での勉学を中途で放棄することなく、立派に卒業出来るようご援助のほどをお願いします」


この要望書を受け取った松前総長は、4月23日の学部長会議で直ちに救済策をとるよう指示した。総長のこの英断に全員が賛同した。救済策は


1.昭和49年度までの授業料未納分は卒業時まで延期。
2.昭和50年度授業料は特別奨学金を貸与する。

3.生活費援助は後援会、同窓会が補助する。

4.大学国際部が、支援募金活動を行い、集まった金は特別奨学金に充てる。

こうしたことなどが決まった。この救済策で、留学生たちは大学に残ることが出来た。しかし、いつ何時、本国に送還されるかもしれないという不安を抱えていた。学生部長は5月6日、ベトナム留学生全員を集め、政治的にいかなる事態を迎えようとも本学の学生である限り、南北に分かれて争うようなことはなく、いままで通り学友としてあたたかく助け合い、本学学生としての本文をまっとうするように。本学は卒業まで責任を持って本学の学生としての身分を保証することを伝えた。

留学生たちは7月19日、大学側に書簡をおくり、この救済策に心から御礼申し上げると感謝の意を述べた。


日本政府がベトナム、カンボジア人留学生に対する救援策について閣議決定したのは、6月24日である。


1975年当時、東海大学に在籍していたベトナム留学生は、途中で外国に移住した6名を除く38名が無事卒業した。大学はその後、特別奨学金も全額返済免除とした。

ベトナム留学生はその後、1985年9月、同窓会を開催、10年前の体験を語り合った。席上、各人が大学側の出席者に熱い感謝の言葉を述べた。


卒業生の中何人かは日本で就職し、何人かは家庭を持った。タイ・バン・トーさんは37年前を振返った。

「当時松前総長の英断によって44名の後輩たちが無事卒業出来たことは生涯忘れることは出来ません。卒業後はほとんどアメリカ,フランス、オーストラリア、カナダなどに渡り、日本に残っているのは約10名。12年前から4年または2年に一度、元留学生の集いを世界各地で開いています。今年は日本で開く予定です。


元留学生の先輩の一人は大学卒業後、一旦南ベトナムに帰り政府機関で働き、陥落後、ボートピープルとなって国を脱出しました。また別の一人も、10日間、海で漂流した後、インドネシアに到着したと連絡してきたので募金をして送金しました。またタイの難民収容所に収容された元ベトナム留学生には、タイ留学生がトラック一台分の救援物資を送ってくれました。


このように述べたタイ・バン・トーさんは、「ベトナム戦争についてはさまざまな見方や考え方があるが、当事者の私たちにとっては大変複雑です。ただ日本に留学した時、いずれ戦争が終われば、日本の戦後復興のように国の再建を目指しなさいと父にいわれたことを実現出来なかったことが死ぬまで悔いとして残るでしょう」と結んだ。


彼らにとってこれもまた、人生を大きく変えたもう一つのベトナム戦争であったに違いない。

(2012年5月30日記 元NHK記者)

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