コミュニケーション - 会員エッセー

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2007年12月 : 佐世保港異常放射能もれ事件

科技庁クラブ員の追及で発覚
中村 政雄

あれは1968年5月6日午後6時頃だった。科学技術庁記者クラブの黒板に「本日の放射能、風波が荒く測定しなかった」と書かれた。「ああそうか」と思っただけで誰もそれ以上気に留めなかった。

■ “口止め”をかぎつける

佐世保港には、米海軍の原子力潜水艦ソードフィッシュ(2360トン)が5月2日から停泊していた。乗組員の休養と物資の補給、小修理が目的で、停泊期間は1週間の予定だった。海上保安庁佐世保海上保安部が、ソ号周辺の放射能観測を実施していた。

その日は、ふだんの10~20倍の放射線値を記録した。現場の担当者が、測定器の故障かとびっくりしたほどの異常値で、通知を受けた科学技術庁は堅く口止めした。

だが、佐世保の西日本新聞記者はいち早くこの異常値をかぎつけた。東京では7日付東京新聞朝刊に、「異常を検出か、異例の放射能再調査」という4段見出しで、このスクープが掲載された。

その朝の科学技術庁での定例の同庁長官との記者会見では、誰も質問しなかった。原潜が放射能汚染を起こすなど思ってもみなかった。

■レーダー説で逃げる科技庁

昼過ぎになって誰となく言い出した。「波が荒くて測れなかったというのに、2度測ったというのはどういうことだ」。

役人を呼んで聞いたが要領を得ない。データの提出を求めたら、返事がしどろもどろになり出した。

異常値の説明がなっていなかった。異常値が測定されたすぐ近くに原潜がいるのだから、まずそれを疑うのが当然だと思うが、絶対に原潜ではないという。「雷雲が発生すると空中の放射能が一カ所に集中することがある。それが雨とともに落ちてきたのではあるまいか。外国でも実例がある」と、放射能課長は説明した。

雨のせいなら、陸上のモニタリングポストでも観測されていいのに、ゼロだ。説明がつかない。かって横須賀港で異常値の出たことがあった。その時はレーダーの影響だった。こんどもたぶんそうだろうという。だが、記録用紙を見ないと判断しかねる。

今ならファクスで観測データが送られてくるので、専門家による判断がすぐできるが、当時はまだなかった。観測記録用紙は速達郵便で送られていた。

8日の各紙朝刊は、レーダーによる雑音らしいと報じた。これを受けて国会の委員会でも、科学技術庁はレーダー説で逃げた。

夜8時、測定記録用紙の速達便が届いた。科学技術庁は「放射能ではない」と発表したが、私たちは「根拠があいまいだ」と追及、「専門家に検討させる」ことを約束させた。

翌9日、5人の専門家が科学技術庁に集まって検討した結果は、「放射能汚染と結びつけることは難しいが、現地調査することが望ましい」となって、調査団が派遣された。

■調査団会見は討論会に

現地調査団は11日昼頃、佐世保で記者会見し、「記録どおりの放射能が本当に存在したとすれば、非常に作為的な特殊な状況と考えねばならず、その可能性はまことに小さいとの印象を強めた」と発表した。

調査団は東京に戻ると科学技術庁幹部に報告して協議後、同様の発表をした。科学技術庁でこの発表を聞いた記者の中に私もいたが、ふに落ちなかった。聞けば聞くほど原潜による放射能汚染に思えてきた。

夜中に始まった調査団の記者会見は、いつの間にか調査団と記者団との討論会に変わった。「異常測定値を放射能汚染と結びつけることはむずかしい」と主張していた調査団が討論を続けるうち、「原子力潜水艦から出た放射能と考えざるを得ない」と言うように変わった。

会見が終わったのは午前4時だった。その間、デスクは「原稿送れ」としきりに催促してきたが、討論しているうちに原稿になることが出てくる。聞いたことがそのまま記事になるわけではない。デスクの電話には苦労した。

13日朝、木村俊夫官房長官は、この事件について「日米合同調査をするよう申し入れる」と発表した。合同調査となれば日米双方の見解が一致しないと結論が出ない。これは事実をごまかすための陰謀ではないか。調査は日本独自でやればよい。アメリカの専門家の来日など、外務省が仕組んだ芝居に違いないと考えて鍋島科学技術庁長官にこの点をただした。同長官は「日米合同の調査ではない。日本独自でやる。アメリカ側専門家は、これに協力するかたちをとりたい」と、私たちの主張を受け入れてくれた。

長官は約束したが事務次官と官房長がしぶった。「大臣の言葉を信用しないで文書にしろとは失礼だ」という。そんないい方こそ失礼だと言い合って、鍋島発言をメモにした一札を手に入れた。

■苦心の質問づくり

15日、米国から3人の専門家が来日した。米原子力委員会海軍用原子炉部次長ウェグナー、同特別補佐官ギブンス、同安全技術主任マイルズの3氏。私たちは米国の専門家にあまり期待していなかった。軍事機密と称して、肝心のことは言わないに決まっている。原子力軍艦寄港に関する米国政府の口上書にも、「原子力軍艦の設計または運航に関する技術上の情報は提供しない」と明記してある。

どうせ日米の見解が食い違い、結論があいまいになるのがオチだと思った。しかし来るからには仕方がない。米国専門家はいろいろな雑音を外務省や米国大使館から聞かされるに違いない。その前に、彼らの素直な意見を聞こうじゃないか、ということに記者クラブでの意見がまとまった。

記者クラブには、かって米国の原潜に試乗した際に専門的なことを聞き過ぎて、ノーコメントの壁に会って失敗した記者がいた。このため会見前夜3時間かかって質問書をこしらえた。前半は、日本の科学記者は無知だと思わせる質問を並べた。相手を安心させておき、すかさず痛いところを突く。そのとき相手が逃げられないような伏線を、前半の一見バカ風な質問の中に配置するという苦心の作品だった。

■第2のハガチー事件?

私たちは羽田空港で米専門家と会見するため待ち構えたが、異様な空気を察してか、彼らは会見をしぶった。自己紹介しただけで何も話さず部屋を出た。私と共同通信があとを追い、彼らが乗った車の前にたちはだかった。このことがあとになって「第2のハガチー事件」として米国に伝わった。今から考えると若気のいたりだった。

翌16日の記者会見で、米専門家は「羽田では失礼した」とあやまった。しかし、純科学的な立場でアメリカ側専門家の意見を聞こうとした私たちの努力は、羽田で会見させなかった外務省の配慮で水泡に帰した。

25日夕、米専門家3人は「あらゆる資料を検討したが、ソードフィッシュ号は一滴の放射能も出さなかった」と言い残し、帰国した。この日朝から開かれた日米の専門家による検討会に出席した3人は、日本側が要求した資料を全く提出せず、「科学的検討に値しない」といって日本側専門家を憤慨させた。

そのあとの記者会見で何か聞き出せないかと努力したがダメだった。米専門家は役に立つ情報を何ひとつ出さなかった。それでも日本の専門家は原潜による放射能汚染だという容疑をいっそう深めた。だが決定的証拠は得られず、いまだに正体不明である。

日本新聞協会で、科学技術庁記者クラブの攻撃的取材が話題になったと聞いた。佐世保港の異常放射能事件は、記者クラブ員の追及によって産まれたものだったからである。発表を聞いて記事にするという在来の取材の殻を破ったやり方だった。そう書くと、いかにも立派な記者が揃っていたように聞こえるが、科学技術庁が最初に隠さなかったら、何事もなく過ぎたかもしれない。



なかむら・まさお会員 1933年山口県生まれ 59年読売新聞入社 東京本社社会部 科学部 解説部次長 論説委員 96年退社 電力中央研究所研究顧問を経て名誉研究顧問
東京工大大学院非常勤講師など

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