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第8回(ハバロフスク・ユジノサハリンスク)極東ロシア・エネルギー資源(2008年9月) の記事一覧に戻る

サンタリゾート物語(副団長:池田 元博)2008年9月

日本記者クラブの極東ロシア取材団に参加した。訪問先はハバロフスクとサハリン。サハリンには是非、一度は行ってみたいとかねがね思っていた。完成間近にある「サハリン2」の液化天然ガス(LNG)製造プラントの視察も魅力だったが、旅行前に配布された日程表をみてにやりとした。サハリンの宿泊先がサンタリゾート・ホテルとなっていたからである。

サンタリゾートはロシア専門商社の大陸貿易が中心となって建設した。旧ソ連時代にソ連側と合弁会社を作り、完成したのはソ連崩壊後の1993年。当時は崩壊後の経済混乱のさなかで、サハリンも例外ではなかったはずだ。モスクワ勤務時代に大陸貿易の駐在員の方とも交友の機会があり、テニスコートやサウナなどを完備したというロシア極東で「最高級」のリゾートホテルの成否の行方は気にはなっていた。

案の定というか、サンタリゾートは悲惨な運命をたどる。ロシア側出資者がサンタリゾートの全資産を乗っ取ってしまったのだ。泥沼の裁判が始まった。1998年のことだ。

法整備がずさんなロシアでは当たり前のようにみえるかもしれないが、当時はまだ数が少なかった日本の合弁企業の係争である。サンタリゾートの名はサハリンから遠く離れたモスクワでも知れ渡り、日ロの経済協力会議、さらには日ロ首脳会談でも取り上げられるようになった。

裁判では日本側が勝訴したものの、結局は日本側がすべてを売却する形で決着した。日本企業だけの事業運営は心もとない。かといって安易な合弁事業は信頼関係の欠如による悲惨な結末を招くリスクを負う。サンタリゾートの失敗は、ロシア事業の難しさを象徴する格好の事例となった。

だが、そもそもサハリンリゾートはどんなホテルなのだろう? 気にはなるが、実際に見ていないのだから想像もつかない。一度は行ってみたいと思ってはいたが、モスクワからサハリンはやはり遠い。結局、モスクワ駐在時代はサハリン出張の機会を失したまま帰国してしまった。

そのサンタリゾートである。残念なことに今回の取材団のサハリン滞在はわずかで、ホテルに到着したのは真夜中。翌日の出発もまだ暗い早朝で、森林公園のなかにある施設の全貌をみることはできなかったが、客室やロビーは確かに立派だ。浴槽に出てくる水もきれいで、いまだに赤茶の水が出てくるハバロフスクのホテルと違ってほっとする。

時に、いったい誰のため、旧ソ連時代にこんな立派なホテルをサハリンに建てようとしたのか不思議になる。今はサハリン2の幹部社員らが常駐宿に使っているからいいが、サハリン2が本格稼動すればこうした需要もなくなるという。わざわざサハリンまで来て、このホテルに滞在してテニスや森林浴を楽しむ日本人やロシア人もほとんどいないのではないか。泥沼の係争の末とはいえ、日本企業は経営権を手放して結果的に良かったのではないか……。

こんなことを考えながら、出発するバスに乗り込んだ。ホテルの前に並んでいた宿泊客用の二人乗り自転車が心なしか、わびしくみえた。

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