2016年11月02日 15:30 〜 16:30 10階ホール
呉屋新城春美 ブラジル日本文化福祉協会会長「沖縄から考える」⑬

会見メモ

ブラジルの日系人社会を代表する「文協」初の女性会長。沖縄で生まれ、家族で移住したウチナーンチュでもある。「沖縄は戦争の時からずっと犠牲になっている。私も家は焼けてしまい、おじいさんの写真さえ1枚も残っていない。どうして今も沖縄だけですか」
司会 中井良則 日本記者クラブ顧問

通訳 大友恵美


会見リポート

ブラジル日系人社会に女性リーダーが登場

明珍 美紀 (毎日新聞社会部)

「戦争時代の沖縄はひどかった。私は祖父の顔を知りません。家は焼かれ、写真は1枚もない。そして、今なお米軍が残っている。どうしてなんですか。ブラジルのウチナーンチュも不満です」

 

抑えてきた感情があふれるように言葉が口をついて出る。会見で、郷里沖縄の現状をどう思うかと質問されたときだ。そして「私は琉球王国時代の沖縄を誇りに思います」と前を向いた。

 

約190万人のブラジル日系人社会。その最大組織である「ブラジル日本文化福祉協会」(文協)の会長に昨春、就任した。前身のサンパウロ日本文化協会(1955年設立)から数えて12代目にして初めて女性がトップリーダーに。サンパウロ州政府税務局に勤めていた元役人で、男社会の中で「鍛えられました」とユーモアをまじえながら自分のキャリアについて話した。

 

沖縄本島南部、八重瀬町で生まれた。「沖縄では苦しい生活で前に明かりが見えない」と1958年、5歳のときに家族で海を渡った。親たちはコーヒー農園で働き、文化も風習も異なる地で奮闘した。自身も子どもの時はポルトガル語の習得に苦労したが、親には学校は「勉強したいところまで行かせる」と言われ、大学に進むことができた。

 

自分のルーツを意識するようになったのは社会人になってから。ブラジル沖縄県人会に参加して故郷との交流に力を入れた。2000年、沖縄県ウチナー民間大使に任命され、さらに文協で活動をスタート。その間、国際協力機構(JICA)研修員として日本に短期滞在した。

 

今回の来日は10月に沖縄と東京で相次いで開かれた「世界のウチナーンチュ大会」(5年ごとに開催)と海外日系人大会への出席のためだ。夫の呉屋ミルトンさん(62)と一緒の里帰りで「各国の日系人とのネットワークが広がった」と顔をほころばした。

 

ブラジルはもう6世まで生まれているという。まずは文協の運営基盤を強化し、「日本文化のよさを若い世代に伝えていきたい」と抱負を述べた。一方、日本社会に対しては「ブラジル社会が私たちを受け入れたように、日系ブラジル人を受け入れてほしい」と訴え、「日本で教育を受けた(日系の)子どもたちが、やがては2つの国の懸け橋になっていく」と言葉に力を込めた。


ゲスト / Guest

  • 呉屋新城春美 / Harumi Arashiro Goya

    日本 / Japan

    ブラジル日本文化福祉協会会長 / Presidente, Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistencia Social

研究テーマ:沖縄から考える 

研究会回数:13

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