2016年01月12日 18:00 〜 20:00 10階ホール
「袴田巖 夢の間の世の中」

会見メモ


会見リポート

今の自由も「ウソ」なのか

王鷲 幹雄 (日経編集制作センター社長)

室内を歩く。ひたすら歩く。廊下を曲がり、畳の部屋の奥に到達すると踵を返し、また廊下へ。無表情に同じ足取りで黙々と自宅を歩き続ける。獄中からの習慣らしく、これが袴田巖さん(79)の「日常」である。

 

1966年に静岡県で起きた一家4人殺害事件。袴田さんは、裁判で一貫して無実を訴えたが、80年最高裁で死刑が確定。再審を求め続け、ついに2014年3月、静岡地裁は再審開始を決定した。逮捕から48年ぶりに釈放された。

 

釈放の翌月からカメラは袴田さんが待ち望んだ「日常」を淡々と追う。映画の7割は自宅での映像だ。ほとんど外出はしない。

 

長年、死刑におびえ拘禁されてきたため心を病んだ。表情は硬く、妄想やおかしな言動もスクリーンから伝わってくる。時に自分を「最高裁長官」や「王」と名乗ることもある。

 

弟の無実を信じ続け、今は共に暮らす姉の袴田秀子さんとの日常は平凡だが、貴重な自由空間だ。ひたすら歩き旺盛な食欲、そして寝る。

 

家族や支援者の想いが少しずつ通じたのか。死への恐怖が薄らいだせいか、次第に表情は柔らかく変わっていく。自宅に遊びに来た親戚の子どもに目を細め、最近では一人で好物の菓子パンを買うまでになった。

 

しかし、まだ立場は「死刑囚」のまま。検察側が即時抗告、今も再審を始めるかどうかの審理が続く。

 

試写会であいさつに立った金聖雄監督によると、袴田さんは完成した映画をなかなか観てくれず、ようやく観た感想は「こんなのはウソだ」。

 

袴田さんにとっては、48年ぶりの自由な生活も、いまだ「ウソ」の世界らしい。銀幕に映る獄中書簡の哲学的な言い回し、袴田さんの言動にさまざまな想いがよぎるが、しょせん、それも袴田さんの宇宙観の前では「ウソだ」と論破されている気がする。


ゲスト / Guest

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