2008年02月06日 00:00 〜 00:00
ダートファル・スパンタ・アフガニスタン外相

申し込み締め切り

会見リポート

復興支援会議で来日

土屋 豪志 (共同通信外信部)

「英語は苦手なので、わたしは母国語にさせてもらいます」

アフガニスタンのスパンタ外相が、パキスタンの首都イスラマバードで行った同国のカスリ外相との共同記者会見でこう切り出し、思わず息をのんだのを覚えている。

2006年の夏ごろだったと思う。日増しに激化する旧政権タリバンによる国際治安支援部隊(ISAF)への攻撃や自爆テロをめぐり、互いに相手側に責任があると非難し合い、関係は極めて悪化していた。

外相2人を囲む記者団を前に、スパンタ氏の肩を抱いたカスリ氏。国外の記者会見などでもべらんめえ調の啖呵を切ることがままある同氏はこの日も精力的で、流ちょうな英語で「2国兄弟論」を押し出していた。

「過激派を通じアフガンに介入している」というのがアフガン側の主張。英語で話すのを拒んだスパンタ氏の胸中にも、パキスタンへの非難があったのだろう。半ば独善的な「カスリ節」の腰は十分に折れていた。

2月6日、アフガン復興支援の国際会議出席のため来日していたスパンタ氏は、日本記者クラブで会見。「アフガンでは女性に機会を与えないと欧米の記者から非難されますが、日本は違いますか?」と、会場の後方で質問の順番を待っていた女性を目にとめて冗談を飛ばし、米英との不協和音として報じられている国連特使の人事拒否をめぐるデリケートな質問も英語で難なくさばいていた。

過去に癒えぬ傷を、現在に苦難、未来には悲観を抱え、アフガンの民衆の表情は今も硬いままだ。スパンタ氏が少しでも多くの笑顔の種を日本から持ち帰ったと期待したい。

ゲスト / Guest

  • ダードファル・スパンタ / Dadfar SPANTA

    アフガニスタン / Afghanistan

    外相 / Minister of Foreign Affairs

ページのTOPへ