1986年11月13日 00:00 〜 00:00 10階ホール
コラソン・アキノ・フィリピン大統領

会見メモ

「1986年2月25日 大統領に就任、現在に至る」
 国公賓が来日すると、外務省の儀典官室で接伴要領を作成する。賓客と公式随員の略歴や日程が記載される。アキノ大統領のページには、生年月日、出生地、学歴の後、冒頭の経歴がわずか1行。これほどシンプルな紹介は、これまでにも、これからもおそらくないであろう。
 「もう、間もなくお孫さんも二人になるというお話ですが、大変素晴らしい、きれいな大統領であります」という細谷理事の紹介で、にこやかにスピーチ(8ページ)に立った。呼びかけとお礼の言葉は、やさしい落ち着いた日本語で。
 個人的な感想も率直に織り込み、比国革命への日本プレスの貢献に感謝を表した品のよいスピーチの後、質問に簡潔に答えた。
 AP配信の天皇”謝罪発言”について確認をもとめた質問には「この問題についてはもう十分言われつくしたことだと思います。この点に関して、私が一つだけ申しあげたいのは、今回の訪日で、もっとも思い出に残るであろう出来事は、私が陛下にお目にかかったということであります」「陛下は本当にご親切で、偉大な方であるというふうにお見うけしました。私に父親を思い起こさせるようなお人柄でありました。私の父も、私にとっても親切な人でした。そういった意味で、私に父親を思い出させました」。
 経済援助の成果についての質問には、オンピン蔵相から具体的な答弁をさせた。蔵相の答えが、仔細にわたり時間をとったため、終了時刻となり、司会者が閉会にしようとすると、「十分答えていないと思うので、ちょっと補足的な説明をしたいと思います」。「今年の日本からの援助は、去年前任者に与えられた額をはるかに超えています。比国民に対する、日本政府からの明確なメッセージが、ここにあると思います。すなわち、日本政府がアキノ政権をサポートするという、明らかなメッセージであるとみなしています」。
 最後に政治家としての気概も見せたが、この昼食会を報じた翌日朝刊には、オラリア人民党議長の”遺体発見”のニュースが、マニラからもたらされていた。
日本記者クラブ会報1986年12月号3ページから引用、同号4-5ページに関連記事、8-10ページにスピーチ全文があります)


ゲスト / Guest

  • コラソン・アキノ / CORAZON AQUINO

    フィリピン / Philippine

    大統領 / President

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