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食品偽装の深い闇(中村 靖彦)2008年12月

BSE、牛肉偽装、汚染米…
食の安全を脅かす事件が絶えない。なかでも汚染米事件は有識者会議の報告書は出たが、再発防止策などの課題が残っている。一連の事件を見ていて、私には思い出すことがある。7年前に日本で初めて確認されたBSE(牛海綿状脳症)と、その後の牛肉偽装事件である。コメと牛肉、食材の種類こそ違うが、今回と事件の深層はよく似ているように思う。

●2001年BSEの衝撃

2001年9月10日、千葉県でBSEと疑われる一頭の乳用牛が見つかった。その後の検査で真性と確定する。農林水産省は日本には侵入しないと言い続けていただけに衝撃は大きかった。この病気の実態はよく分からないまま、人間へも感染することと致死率が100%であるとの恐怖が先に立って、世の中はパニック状態になった。当時NHK解説委員の最後の時期を過ごしていた私も、一部始終を取材する仕事に追われた。

牛肉の消費は落ち込み、卸売価格も一気に下落して畜産農家は大打撃をこうむることになった。

発生からほぼ1カ月後の10月18日、出荷されるすべての牛から延髄の一部を取って調べる全頭検査が始まる。BSEの病原体が見つかれば、その牛は焼却処分となる。絶対に食卓へは流通させないという、消費者に安心してもらう措置だったが、この前後から行政は揺さぶられ始めるのである。

全頭検査が実施されてからの牛肉は安全としても、その直前に屠蓄された牛は大丈夫なのかとの疑問が消費者から出てくる。それももっともだということになって、保管してあった国産の枝肉は流通させずに、国が買い上げることになった。とりあえずの隔離措置である。

●隔離から焼却へ

しかし、世論はますますエスカレートする。その牛肉がいずれ出回ってくるのでは心配だとの声が高まり、国会議員による後押しもあって、結局全部を焼却処分とすることになった。国の経費はおよそ300億円にのぼる。

私はいまこの間の経緯を思い起こす。市場隔離牛肉緊急処分事業が始まったのが12月14日、しかし私は、買い上げて焼却したのは本当に全部が事業の対象となる牛肉だったのかという疑問を持った。こんな疑問を抱いたのは、直前に雪印食品による偽装事件が明るみに出たからでもある。雪印食品は、買い上げの対象にならない輸入牛肉などを集めて国産牛と表示した箱に詰め替える偽装工作を行った。この事件は、不正を見ていた冷蔵庫会社からの通報で発覚し、雪印食品は会社解散に追い込まれた。他にも同じような不正が行われていないか、というのが私の疑問であった。

この事件があって、農林水産省は買い上げ対象の牛肉かどうかを、実際に箱を開けて調べることにする。最初は抽出だったが、やがて全箱検査になる。この日は2002年4月25日である。

ところで、全箱検査に移行する前に、つまり内容が買い上げ対象の国産であることを確かめる前に焼却が済んでいた牛肉があった。大阪の同和食肉協同組合などが持っていた1700トンあまりの牛肉である。いくつかの団体は浅田満ハンナングループ総帥が取り仕切っていた。

7月10日、参議院予算委員会で当時の武部勤農林水産大臣は、共産党の富樫練三委員の質問に対して、これらの牛肉はすべて焼却が終わっていると答えている。全箱検査の前だったから、全部が国産の買い上げ対象の肉とは言えない。そこに情報漏れはなかったのか。つまり、やがて全箱検査が始まる、箱に筋の悪い肉が入っているなら今のうちに焼いてしまう方がいい、とのマル秘情報はなかったのか。

けれども私の疑問はこの段階では解けなかった。同和へのアプローチは難しい。昔から食肉は同和にとって利権の対象であった。今回の牛肉買い上げと焼却事業に、同和はどう関わったのか。私は、関係者たちとのインタビューができないかと模索していた。実現しないままに、事態は急展開を見せる。

●ハンナン事件起きる

2004年4月16日、大阪府警は、浅田満容疑者たちに詐欺容疑の逮捕状をとった。容疑はグループ10数社が抱えていた輸入牛肉を、国産肉として国に買い取らせて補助金をだまし取ったというものである。しかし、偽装だったとしても当の牛肉は早々に焼却されている。肝心の証拠がなくなっているのに、警察はどう犯罪に迫ることができたのか。このことは、私が解けないままにしていた疑問とも通じることになるかもしれない。

私は大阪地裁での裁判を傍聴することにした。起訴状によると、2001年の暮れに国の牛肉隔離政策が発表されると、浅田被告は全国のグループに対して指示を下す。とにかく安い牛肉を何でもいいから集めろというのである。こうして擬装用の牛肉が集められた。一方、農林水産省にもあちこちの食肉業者から、在庫がたまって困っているのは国産牛肉だけではない。輸入牛肉を扱っている業者も大変なのだ、こちらも買い上げの対象にしてほしいという強い要望が寄せられていた。そして浅田被告によれば、これらの肉も受け入れてもらえないかとの意向が役所から伝えられたという。

裁判で浅田被告は、一度は断ったと述べている。けれども前後の状況は、対象外の肉だが国に買い上げさせる偽装の中に組み込まれたことを示している。農林水産省はこのようなやりとりで、浅田被告のところには、明るみに出ては困る牛肉が入っていることを知っていた。だから全箱検査が始まっては具合が悪いことになる。そこで、全箱検査の開始時期などについて浅田被告に情報を漏らしたとの図式が成立する。

浅田被告に、このような不正な買い上げを持ちかけたとされる農林水産省職員は、記憶にないと証言している。だから情報漏れの部分の真相は不明で、結局、私はこの点を書くことができなかった。同和と官僚の癒着があったのかどうかも明確には言えない。けれども、大阪でいち早く焼却された中に擬装用の牛肉が大量に入っていたことについては私の予感が的中した。証拠がないのに逮捕に踏み切ったのは、浅田被告のやり方に不満を持つ組織内の通報によるものだという。

BSE発生に伴う牛肉の隔離焼却事業は、消費者の不安を取り除くためという趣旨で行われた。ある程度の効果はあったと言えるが、一方では消費者そっちのけで私腹を肥やす業者の横行も許す結果になってしまった。また、BSEプリオンが存在しない牛肉部分までを焼いて捨ててしまうという事業が、本当に消費者のための施策と言えるかは疑わしい。

●汚染米と消費者視点

さて汚染米に戻る。三笠フーズという会社は、カビ毒や農薬に汚染されて食用にならないコメを焼酎とか煎餅用に転売していた。100回近くも検査に入りながら偽装を見抜けなかった行政は、農林水産省の現在は農政事務所、かつては食糧事務所と言われた組織である。食糧事務所は、もともとは食糧管理法の下で出荷してくるコメの検査をやっていた。これは農業生産者のための仕事で、消費者寄りの視点はなかった。時代は変わり食糧管理法は廃止されて、現在は食品表示の監視とか消費者のための業務が主になっている。人事の交流も行われているが、組織の性格はそう急に変わるものではない。最盛期には全国に3万人近くいた食糧事務所の職員は、配置転換などで数が減ったがそれでも2千人ほど残っている。

石破農林水産大臣は汚染米事件を反省して、何よりも消費者の視点でものを見ることが必要だと強調した。異論はないが、BSEの例でも分かるとおり、偽装を戒める口実だけになっては困る。不正の闇は想像以上に暗くて深い。



なかむら・やすひこ会員 1935年生まれ 59年NHK入局 「明るい農村」など農業食料番組のディレクターなどをつとめ 74年解説委員 2001年退局後 内閣府食品安全委員会委員を経て 現在 東京農業大学 女子栄養大学客員教授 食を考える国民会議幹事長 日本食育学会会長など 著書に『食育は日本を変えるか』『食の世界にいま何が起きているか』『牛丼 焼きとり アガリクス』など多数
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