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アララト山とコーカサス(細島 泉)2005年8月

シルクロードに魅せられて、私の旅は始まる。以来20年余りだが、まだ訪ねたい所はある。ことし(2005年)6月、その一つに行ってきた。コーカサス三国(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン)への旅である。

まずアルメニアから入る。ここでは、ノアの箱舟がおりたというアララト山(5165m)にとにかく会いたかった。首都エレワンはトルコとの国境に近い。アララト山はトルコ領内だが、手にとるように近くに見える。雲ひとつない快晴のもと、山は白雪にかがやき、麗しい全身をあらわに歓迎してくれた。感動し、思わず歓声をあげた。

国境など、ないにひとしい。この山はアルメニア正教の聖地で、ごく身近な存在なのだ。アルメニアの国章にもなっている。同国自慢のコニャックのブランド名も「アララト」で、ラベルにはこの山が描かれている。

アルメニア正教の総本山はエチミアジン大聖堂。世界最古の公式な教会だという。首都郊外の、広い敷地の真ん中に大聖堂がある。建築様式は簡素だが、中央のとんがり帽子の屋根がとくに印象的で、かわいい。緑陰にたくさんのベンチがあり、市民たちはくつろいでいる。静かな時が流れている感じである。

旅の同行者に中東、イスラム問題にくわしい研究者がいた。彼が大真面目に「アダムとイブの“エデンの園”はどこですか?諸説ある。私はここアルメニアだと思う」と語り始めた。おどろいたが、冗談とは思えない。

旧約聖書には「箱舟から出たノアはまずブドウ作りを始めた」とある。ブドウ栽培の発祥地はどこかというと、約5000年前のコーカサス地方から地中海東部海岸地方、が定説らしい。(平凡社、世界大百科事典)

たしかに、この一帯は旧約聖書の雰囲気が色濃くただよう。ブドウも、畑だけでなく、村の家々の庭にたいていある。老樹もある。また、アルメニア正教、グルジア正教の古びた教会、修道院が村の中、山の上などに多い。とんがり帽子の屋根が目立ち、それぞれ美しい絵となっている。神話の里らしい風景だ。

グルジアの首都トビリシは、マルコポーロが中国への旅のさい立ち寄り「絵にかいたように美しい」とたたえた町でもある。

美しさのかげに荒ぶる歴史の跡も見逃せない。要塞様式の教会がそれを物語る。古来、モンゴル、アラブ、ペルシア、トルコ、ロシアなどに侵され生き抜いてきた。モツヘタ(古代イベリアの古都、世界遺産)の大聖堂や、アナヌリ要塞教会などがその典型である。

トビリシから北へロシア国境まで200kmに「グルジア軍用道路」がある。19世紀、帝政ロシアが軍事用に作ったが、いまでは大コーカサス山脈縦断のハイウェイとなっている。

その景観はすばらしい。雪渓と山々のスケールの大きさ、変化のめまぐるしさ、路傍のお花畠の多彩なこと、興趣はつきない。プーシキン、レールモントフらロシア詩人の魂を酔わせ、チェホフが「これは詩の道だ」と激賞したというのもうなずける。

山麓のあちこちに小集落がある。あれが「長寿の里」だという。なぜ長寿か、尋ねた。軍用道路のわきに炭酸水が自然噴出している。健康水だといわれ、飲んでみた。グルジアには温泉が多い。トビリシのハマム(大衆浴場)も名高く、にぎわっている。

ブドウが生んだ美酒(アルメニア・コニャック、グルジア・ワイン)もある。ブドウ、ザクロは“生命と豊穣”の象徴という。また、目をみはるのはこの地方の女性の美しさだ。アルメニア美人、グルジア美人は天下一品といってよい。美酒と美女と温泉がそろえば、まさに桃源郷だ。長寿も不思議ではないだろう。

アゼルバイジャンに入ると、シルクロードらしくなる。ここはイスラム教が多い。

シエキは絹の産地で、かつてその名は西欧まで知られ、絹の買いつけ商人が集まってきた。キャラバン・サライ(隊商宿)が五つもあった。その一つがホテルになっていて、私もそこに泊まる。湯は出ない、バス・タブもないが、一夜だけ耐えてサライ気分を味わった。

カスピ海に面した首都バクーも昔はシルクロードの中継地だった。城壁内の旧市街にはモスクなどがあり、その面影を残している。だが、カスピ海油田の新発見で、バクーはにわかに国際的焦点となる。郊外には採油のやぐらが見渡す限り林立し、壮観である。

いま米国の大計画が進み、バクーからグルジアを経てトルコ地中海岸への長大パイプラインが近く完成する。カスピ海原油をめぐる米中ロ三国の動きは目を離せない。21世紀、シルクロードはオイルロードとなる。改めて、世界地図を見る。北にコーカサス、南にイラクを抱くアララト山。神話の山と桃源郷の静けさはいつまで続くだろうか。    (2005年8月31日記)
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