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2006年7月 : 岩手・盛岡市
“岩手公園”名称変更問題:県民に納得いく議論の材料提供を
雄大な岩手山を背に北上川が流れ、緑と水に恵まれた岩手県の県都・盛岡市。南部氏が築いた盛岡城の城下町として栄えた。その盛岡市で今、開園百年を機に「岩手公園」の新名称をめぐり、賛否両論が渦巻いている。「『盛岡』『城跡』を前面に」という賛成論、「愛着がある」という反対論。議論から県民のさまざまな思い、歴史観が浮き彫りとなっている。たかが名称、されど名称─。

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新名称を設けることは岩手公園開園百周年記念事業の一つとして5月に同市が発表した。狙いは同市が力を入れる「盛岡ブランド」全国発信に当たり、城下400年の「盛岡」と、財団法人日本城郭協会の日本百名城に選ばれた「城跡」をアピールし、今後の観光やまちづくりの弾みにしたい考えだ。

発表当時、市は「名称改称」としていたが、数日後の記者会見で市都市公園条例の改正が不要な「愛称」とした。一方、同市公園みどり課は「新名称は公的な看板、標識に使い、実質上の名称変更だ」と説明し、混乱のもととなった。
 岩手公園は廃藩後、荒廃した城跡を平民初の首相・原敬が県と南部家の橋渡し役となり、委譲された県が整備し、1906(明治39)年に開園した。34(昭和9)年からは市に管理が移管されている。

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新名称問題について本紙は発表当時から社会面で扱い、問題を提起してきた。市や、改称推進団体から「ネガティブキャンペーンを張っているのか」と批判も出た。

現在、同公園に足を運ぶ人はごく一部に限られ、全国有数の美しさを誇る石垣をはじめとするその価値は桜の季節以外、県内外に十分に認知されていない。戊辰戦争に敗れ、朝敵として不遇の扱いを受けた南部藩の復権と重ね合わせる関係者の思いも理解できる。

しかし、市が言うように賛成者は本当に多いのか。そこで本紙は市政記者クラブ4人と県内10支社局の協力で県民100人にアンケートを実施した。その結果、反対62人、賛成13人、どちらでもよい25人だった。

6割を超える反対理由で最も多かったのは「100年間親しんできたから」。旧制盛岡中学で学んだ石川啄木や宮沢賢治の作品にも使われたことを指摘するファンも少なくなかった。唐突な印象を受けた県民も多く、「県を代表する公園なのに盛岡市だけで決めるのか」などの声もあり、市は真摯に耳を傾けてほしい。

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今後、市は有識者、市民ら9人による懇話会を開き、市議会とも相談しながら、開園記念日の9月15日に新名称を発表する。同問題がどこに着地するかは現時点では見当がつかない。

岩手日報社は今年創刊130年を迎え、社屋はこの公園と目と鼻の先にある。開設以前から同公園とともに歩んできた当社としては県民が納得のいく議論の材料提供に労を惜しまないつもりだ。
岩手日報社報道部 志田 澄子
盛岡市メモ
人口 300,093人(5月1日現在)
世帯数 122,663世帯
岩手公園 1874(明治7)年の盛岡城建造物解体後、著しく荒廃していた城跡を1903(明治36)年、県知事北条元利が公園整備を計画。南部家相談役だった原敬が当時の南部家当主、利祥に「県民のための公園」として借用を働き掛け、県への無償貸与が実現、06年に開園した。設計は全国でも著名な造園家長岡安平が手掛けた。34(昭和9)年、管理業務が県から盛岡市へ移管され、盛岡城は37年に国指定史跡となった。

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