2016年09月12日 15:00 〜 16:30 10階ホール
「海外引き揚げ70周年―体験の継承」 加藤聖文 国文学研究資料館准教授

会見メモ

満州、樺太、朝鮮、台湾からの引き揚げの実態や体験の継承問題について、国文学研究資料館加藤聖文准教授が話し、記者の質問に答えた。
司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)


会見リポート

植民地の強制的喪失 日本の歴史認識に影響

瀬口 晴義 (企画委員 東京新聞社会部長)

敗戦によって国内に引き揚げてきた日本人は300万人超。ポツダム宣言受諾と同時に、日本政府は輸送船舶の不足や港湾の機雷封鎖などを理由に「現地定着方針」を打ち出していたが、大多数は1946年の1年間で引き揚げることができた。その背景にあった複雑な国際情勢をかみ砕くように説明してくれた。

 

戦後、約100万の日本陸軍の将兵は中国でほぼ無傷のまま残留していた。米国は中国の国民党と中国共産党の内戦で日本兵が傭兵化することを恐れ、本国送還を急いだ。その過程で、同時に進められたのが満州残留日本人の送還だったという。日本ではマッカーサーの好意と思われているが、米国の対中政策の一環に過ぎなかったという指摘だ。

 

満州からの引き揚げの際の犠牲者は日ソ戦での死亡者も含めて24万人超。そのうち8万人は開拓団員が占めた。東京大空襲や広島、長崎の原爆、沖縄戦をしのぐ犠牲があった。300万人もの「民族大移動」が記憶から薄れてしまった理由の1つに、長期化して人々の記憶に深く残ったシベリア抑留と比べて、短期間で引き揚げが終了したことを挙げた。

 

敗戦によって日本は植民地を強制的に失った。それによって、日本は英仏などが直面した「脱植民地化」という問題に正面から向き合うことがなかった。これが今日の植民地支配をめぐる歴史認識を形づくっている、という指摘は重い。

 

加藤さんは1966年生まれ。引き揚げを専門に研究する若手の学者は貴重だ。引き揚げ経験者は少なくなってきた。「記憶」はやがて「歴史」になる。300万人の引き揚げ者を「難民」という言葉に置き換えると、現代史の中で位置付けるべきテーマとなる。


ゲスト / Guest

  • 加藤聖文 / Kiyofumi Kato

    日本 / Japan

    国文学研究資料館准教授 / Associate Professor, National Institute of Japanese Literature

研究テーマ:海外引き揚げ70周年―体験の継承

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