2016年08月10日 18:00 〜 20:00 10階ホール
試写会「クワイ河に虹をかけた男」

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会見リポート

泰緬鉄道の悲劇と向き合った元兵士の戦後処理

竹内 幸史 (朝日新聞出身)

「今回はイギリスの元兵士と連絡がとれましてね。ようやくカンチャナブリで会うことができたんですよ」――旧陸軍の通訳兵だった永瀬隆さんに初めて会ったのは、1990年代半ばのことだ。私が駐在していたバンコクのオフィスにひょっこり現れ、顔をしわくちゃにして心情を語ってくれた。

 

岡山出身の永瀬さんは、タイ西部のカンチャナブリの憲兵分隊に所属した。ビルマへの補給路として計画された泰緬鉄道建設に働いた。戦後間もなく、連合国によって墓地捜索に派遣された。その時、過酷な工事で犠牲になった連合国軍捕虜や労務者の悲劇の全貌を思い知った。

 

この体験が永瀬さんを慰霊と贖罪、和解の旅に駆り立てた。2011年に93歳で亡くなるまでタイ訪問は実に135回に上る。

 

その旅路を20年がかりで追いかけた映画が、『クワイ河に虹をかけた男』である。満田康弘監督の永瀬さんへの共感と執念が実った力作だ。

 

私も永瀬さんとの出会いを機にカンチャナブリを訪ねた。泰緬鉄道博物館には、捕虜や労務者に対する日本軍の虐待や憲兵の拷問を伝える数々の展示があり、心が痛んだ。

 

だが、祭りの夜にクワイ河鉄橋で催される「死の鉄道」ショーには絶句した。ムチを手に労働を強いる日本兵、日の丸を翻して鉄橋を走り抜ける蒸気機関車…。派手な光と大音響の商業主義的なイベントだった。「負の歴史」を学ぼうと訪問した日本人旅行者もこれに辟易し、「二度と来たくない」と漏らす人もいた。

 

だが、永瀬さんは、へこたれなかった。戦後処理を放置してきた日本政府への批判を胸に秘め、カンチャナブリに通い続けた。贖罪と和解を続ける一方、日本からの募金で現地に寺や学校を建て、若者に日本留学の奨学金を与えた。「たった一人の戦後処理」。映画はそう伝えている。


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