2016年03月25日 18:00 〜 20:10 10階ホール
試写会「スポットライト 世紀のスクープ」

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会見リポート

調査報道――書く覚悟、書かない責任

滝鼻 卓雄 (日本記者クラブ名誉会員)

1976年2月、戦後最大の疑獄事件といわれた、ロッキード事件がアメリカの議会で発覚した。日本の新聞各紙はその日から、怒涛のような取材競争に突入していった。

 

全日空が導入したロッキード社製のトライスター機、その機種選定をめぐって、ロ社と日本の政界との間に「黒い闇」が存在するのではという疑惑は、事件発覚の直後から、事件記者の間に流れていた。

 

私もロ事件を追う記者の1人として、今でも忘れ得ない日々を過ごしていた。ちょうどそのころだったと思うが、ウオーターゲート事件を題材にした「大統領の陰謀」という映画が日本でも上映されていた。ジャーナリズム界では伝説的な映画だ。米ワシントン・ポスト紙の2人の記者が、ホワイトハウスの陰謀を発掘し、ついには当時のニクソン大統領を辞任にまで追い詰めた。その「調査報道」を映画化したのが、「大統領の陰謀」である。私にとっては、ロ事件とウオーターゲート事件の2つは、調査報道という形のジャーナリズムを考えるとき、決して記憶から消えない事件である。

 

あれからちょうど40年たった、この3月、私はボストン・グローブ紙の大特ダネを映画化した「スポットライト 世紀のスクープ」の試写を観た。当然のようにロッキード事件とウオーターゲート事件のことが、私の〝ジャーナリズム脳〟によみがえってきた。

 

グローブ紙に着任した新編集局長が初めての編集会議で、地元ボストンの神父が30年間に80人もの児童に性的虐待を加えたとされる疑惑について、「もっと詳しく取材せよ」という指示を下した。新編集局長は重大な危機感を持っていた。インターネットに支配され始めた新聞界の現状、その結果、読み応えのある記事が減ったこと。つまり新聞の使命の劣化を感じたのだろう。

 

グローブ紙の「スポットライト」はひとつのネタを執拗に追いかけて、長期間にわたって連載を続ける特集ページだ。4人の記者が手分けして取材を開始した。取材の対象は、かつて神父を弁護したことのある弁護士、虐待の被害者団体のメンバー、そしてカトリック教会の聖職者たち。弁護士が主張する守秘義務、聖職者たちの取材拒否など、取材の壁は厚かったが、4人の〝足による取材〟は次第に事件の核心に近づいていった。

 

疑惑の神父はなんと87人。ここで編集局長と記者たちは、神父個人を糾弾するのではなくて、教会という組織による隠ぺいシステムを暴く、という編集方針を確認した。ボストンという地域社会ではカトリック教会が絶対的権力者。それと敵対する報道は大きなリスクを伴う。加えてグローブ紙購読者の53%はカトリック信者だという。

 

しかし、2002年1月、全米を驚かせた〝世紀のスクープ〟は、グローブ紙の輪転機から刷り出された。

 

この作品の中で、私が忘れられない、いや忘れてはならない台詞がある。

 

「君が探している文書はかなり機密性が高いね。これを記事にした場合、責任は誰がとる」

 

「では、記事にしない場合の責任は」

 

この映画は今年のアカデミー賞で作品賞に輝いた。が、同時にとった脚本賞の意味の方が大きいと私は思いたい。


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