2016年03月15日 14:00 〜 15:30 9階会見場
映像作家 アリ・ビーザー氏 「原爆機乗員の孫がヒバクシャを訪ねて」

会見メモ

広島・長崎を訪れて被爆者の話を聞き、"The Nuclear Family"という本を昨年出版したアリ・ビーザー氏が会見し、記者の質問に答えた。ビーザー氏の祖父は広島、長崎に原爆を投下した爆撃機の搭乗員だった。5月まで福島に拠点を置き活動する予定。
ナショナルジオグラフィックウェブサイトのビーザー氏報告ページ
司会 中井良則 日本記者クラブ専務理事
通訳 吉國ゆり(サイマル・インターナショナル)


会見リポート

原爆機乗員の孫がヒバクシャを訪ねて

中井 良則 (日本記者クラブ専務理事)

日本に住み、広島、長崎の原爆被爆者の話を聞く。東日本大震災の被災地を歩き、福島原発事故で避難した人を訪ねる。取材をまとめて本を書き、ビデオ、写真、文章をネットで発信する。27歳のアメリカ人青年がそういう仕事を選んだのは理由があった。

 

広島を原爆で破壊したB29「エノラ・ゲイ」と長崎を襲ったB29「ボックス・カー」。二つの原爆投下機に連続して乗った軍人は一人しかいない。レーダー担当のジェイコブ・ビーザー中尉で、父の父になる。

 

原爆とのつながりはもうひとつあった。母の父、エアロン・コーヘンさんと同じボルティモアの会社で働く日本人女性がいた。米国に招かれてケロイドの治療を受け「原爆乙女」として知られる25人の被爆女性の一人で、のちに米国人と結婚した。コーヘンさんはこの女性と家族ぐるみで親しくつきあった。アリさんは8歳の時、女性と話し、日本に招かれたことを覚えている。

 

投下した側と投下された側がつながる「不思議な偶然」

 

二人の祖父を通して「原爆を投下した側」「原爆を投下された側」の両方とつながった。2011年から13年まで毎年、日本を訪れ、原爆を理解するため被爆者の話を聞くことになる。日本に招いてくれた女性は亡くなっていたが、日本に住むその家族に会うと「被爆者の話をたくさん聞きなさい。早く聞かないと時間がなくなる」といわれたからだ。

 

昨年、英語で出版した"The Nuclear Family"は父方の祖父が書き残した回想録に基づいた原爆投下に至る記録と、被爆者の壮絶な体験が交互に語られる。

 

「不思議な偶然で日本に来ました。祖父が原爆機に乗ったのは23歳で、私が本を書き始めたのも同じ年歳だった。原爆の両側をつなぎあわせる家族という意味で、『核家族』というタイトルにした」

 

昨年7月からはフルブライトプログラムの助成金を得て米誌ナショナル・ジオグラフィックの「ディジタル・ストーリーテリング」フェローとして日本に住む。ナショナル・ジオグラフィックのウェブサイトで、ストーリーを書き続けている。

 

難しい立ち位置選び、自分のことばで伝える

 

会見では原爆を使った米国の責任と祖父の行動をめぐる質問もあった。答えをいくつか書き留めておく。

 

「話を聞いた被爆者は私の祖父のことを知ると、好奇心を示した。謝罪を求める人はいなかった」

 

「私には原爆を正当化しようという目的はない。何が起きたのか理解したかった。かつての敵は友人になった」

 

「戦争は日本が始めて米国が終わらせた、と以前は思っていたがそれは短絡的だった。日本、アメリカ、中国、韓国、ユダヤ人、ドイツ。それぞれにとっての真実があり一つだけの真実はありえない」

 

日本人にとっては祖父の行為はあまりにも重大で、その孫への視線も複雑になる。かといって「反省」や「謝罪」を聞けば安堵できる、というものでもない。本人もそう簡単に「後悔」を口にしない。それでも、祖父が破壊した町で生き残った人に耳を傾け、自分のことばで伝えようとする。あえて選んだ難しい立ち位置そのものが、日米間の理解と和解につながるひとつのメッセージとなりうるだろう。


ゲスト / Guest

  • アリ・ビーザー / Ari Beser

    アメリカ / USA

    映像作家 / Videographer

研究テーマ:原爆機乗員の孫がヒバクシャを訪ねて

ページのTOPへ