2016年02月26日 15:00 〜 16:00 10階ホール
「3.11から5年」⑩ 俳人 照井翠氏

会見メモ

俳人で岩手県立釜石高校国語教諭の照井翠氏が会見し、記者の質問に答えた。
司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)
句集『龍宮』


会見リポート

三月を喪ひつづく砂時計

鶴原 徹也 (読売新聞社編集委員)

東日本大震災を釜石で経験した俳人、照井翠さんは2013年、3・11を詠んだ句集「龍宮」で俳句四季大賞などを受賞した。その中にこんな句があった。

 

〈春の星こんなに人が死んだのか〉

 

大津波の後、降り続いた雪がやみ、「夜の闇を星が埋め尽くした」。無数の「御霊が昇天した」と感じ、合掌して、詠んだ。

 

壮絶な大量死を前にした、鎮魂の姿勢がうかがわれる。残酷だが、美しい句だと思う。

 

今回、「龍宮」の後に詠んだ句から98句を自ら選んで、震災5年を期したミニ句集を作った。こんな句がある。

 

〈三月を喪ひつづく砂時計〉

 

詠んだ心境はこうだという。「この震災は終わりが見えもしない。どこまでも続く」「砂を永遠に失い続けていく。そんなイメージ」

 

震災から3年半たった頃、照井さんは「なかなか進まない復興に苛立っていた」と振り返る。その時期の句は確かに苛立ちがにじむ。

 

〈蜩や山の頂まで墓場〉

 

〈万緑の底で三年死んでゐる〉

 

今、「3月に対する気持ちが変わってしまった。3月と聞くと怖いなと思う」と語る。春の喜びは失われた。その怖さはこんな句にもあらわれている。

 

〈死なば泥三月十日十一日〉

 

「三月十日」は敗戦の年、1945年の米軍による東京大空襲の日を指す。俳人にとって、東日本大震災の被害は太平洋戦争の戦禍と重なる。「人は死んでしまえば泥につかる」

 

俳人の心はこの5年、「鎮魂・慰霊」から「戸惑い・いら立ち」、そして日本という国に対する「危惧・憂い」へと移ろってきているようだ。

 

大津波となって人を襲った海については、「ようやく違う見方ができるようになった。悟りというか、今の気持ちは、海は悪くない、ということ」と話した。


ゲスト / Guest

  • 照井翠 / Midori Terui

    日本 / Japan

    俳人 / Haiku poet

研究テーマ:3.11から5年

研究会回数:10

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