会見記録/昼食会/研究会

2016年1月21日    15:00〜 16:00
日本人抑留者資料館館長 ジャリル・スルタノフ    9階会見場

氏名 ジャリル・スルタノフ Name Jalil Sultanov
ウズベキスタン Nation Uzbekistan
肩書 日本人抑留者資料館館長 Title Director, Memorial Exposition Museum of the Japanese Citizens' Sojourn in Uzbekistan in 1940s

会見メモ

戦後、ウズベキスタンに連行された日本人抑留者の歴史を伝えるために、私費で資料館を開設したスルタノフさんが会見し、記者の質問に答えた。
司会 川戸惠子 日本記者クラブ企画委員(TBSテレビ)

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日本人抑留者資料館館長 ジャリル・スルタノフ 写真 1 日本人抑留者資料館館長 ジャリル・スルタノフ 写真 2 日本人抑留者資料館館長 ジャリル・スルタノフ 写真 3 日本人抑留者資料館館長 ジャリル・スルタノフ 写真 4  

記者による会見リポート

ウズベクで日本人抑留者資料館を自主運営

ウズベキスタンには、第二次大戦の敗戦後の1945年から49年にかけて約2万5000人の日本人捕虜が満州などから強制連行された。その日本人抑留者の歴史を伝えるため、私費で調査を続け1998年に「日本人抑留者資料館」をタシケントの自宅の庭に開設したウズベク人がいる。ジャリル・スルタノフさん(72)だ。その事実を知って駐ウズベキスタン大使の加藤文彦氏が昨年、外務大臣表彰の感謝状を贈り、さらに昨年10月に安倍首相一行が中央アジアを訪問した際にスルタノフさんと面会、日本への訪問を招待した。スルタノフ氏とご家族ら3人は、初めて憧れの日本を訪問し各地で講演や交流を深めた。

 

スルタノフさんが日本人に興味をもったのは、14歳の頃、近所の年輩の方が日本人の敷設した高圧の送電線の話や高所で危険な仕事をしていたこと、ウズベキスタンの各地で今も残る重要な施設を作ってくれたこと――などを聞くうちに、日本と日本人の事を調べるようになった。タシケント工科大学を卒業した後もその日本人の歴史を伝えることは、自分の重要な役目だと考え、今日までウズベキスタン各地に出向いて調査してきたという。

 

当初は日本人のことを調べることは不可能に近かった。しかしウズベキスタン独立(91年)後は、アーカイブ資料や残された史実、目撃者の証言を集めるという活動を長く続けてきた結果、資料館を作るまでになった。

 

今は、かつての日本人の暮らしぶりなどを知ってもらえる展示をしている。それらを見るとウズベクに滞在した日本人は実に様々な職業をもた人がたくさんいたことがわかるし、日本人の慈悲や情け、思いやりのエピソードもたくさんあるので、ぜひウズベクに来られた時には見学してほしい。ただ、812人の日本人がウズベクで亡くなられたことにも思いをはせ、それらの方々に敬意を表してほしいと思う。そしてウズベキスタン国内にある日本人墓地を大切に手入れをし、維持、管理していることも知ってほしい。今は資料館の拡張を続け、現代日本を知る研究センターを併設し、両国の友好を固いものにしたいと願っている。


毎日新聞出身 嶌 信彦
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