2015年12月01日 14:30 〜 16:00 9階会見場
「戦後70年 語る・問う」(39) 宇治敏彦 中日新聞相談役 

会見メモ

長く政治記者として活躍した宇治敏彦さんが「戦後政治70年 ジャーナリストから見た評価と課題」というテーマで話し、記者の質問に答えた。
司会 橋本五郎 日本記者クラブ企画委員(読売新聞)


会見リポート

貴重な戦後70年の平和、「不戦100年」につなげよう

八牧 浩行 (時事通信出身)

近著『政の言葉から読み解く戦後70年: 歴史から日本の未来が見える』(新評論)をベースに、日本や世界の戦後の歴史と課題について縦横無尽に斬りまくった。この70年間、日本は敗戦、復興、高度成長、バブル崩壊の軌跡を歩んできた。宇治さんが新聞社に入社したのは「60年安保」の年。以来政治記者として、「1955年体制」「高度成長の光と影」、「小選挙区制への改悪」、「ポピュリズム政治の台頭」「政権交代」「安倍一強政治」へと続く戦後政治の流れを、ウオッチ。知られざるエピソードや裏話も交えながら、独自の視点で積極的な提言を行った。

 

◆いかなる戦争も悪

 

広範な論考を貫くのは「いかなる戦争も悪である」との堅固な信念である。「日本の不戦状態が最も長く続いたのは徳川幕府の260年。明治維新になってから、日清、日露、太平洋戦争と約9年に一度戦争している。そして『戦後70年』、主要国で日本だけが戦争をしなかった。ベトナム、湾岸戦争、イラク戦争。フォークランド紛争もあった…」。その上で、天下太平の徳川幕府に続く、戦後70年の平和は貴重であり、「不戦100年」を目指そうと呼びかけた。そして、静岡県が2011年に制定した「ふじのくに平和宣言」に感動したと語り、一部を読み上げた。

 

「(江戸時代に)日本は鉄砲を放棄し、平和な世界を建設した。我々は現在の最先端の武器である核兵器の抑制・縮減・廃絶ができると信じる。徳川家康が主導した、富士山のごとく美しく平和な社会の建設に邁進する」。

 

もう一つ宇治さんが紹介したのが「天皇陛下の今年年頭のお言葉」。「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。(中略)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが、今極めて大切なことだと思っています」―。このお言葉に込められた「本意」を国民は尊重し、「不戦の誓い」を新たにすべきだと説き、「『戦後』という言葉を消してはならない。この二文字が使われなくなるということは、新しい戦争が始まるからだ」と訴えた。

 

「戦争とは自衛も侵略も入り乱れており、『正義の戦い』といっても、水掛け論になるケースが多い。なんとしても事前に回避する基本姿勢と外交努力を忘れてはならない」と力説した。また「日本が中国、韓国などに多大な被害を与えたことは拭い去ることができない事実である」とし、その反省の上に、日本外交を展開すべきだと提言。さらにヘイトスピーチや「嫌中」「嫌韓」につながる「狭隘なナショナリズム」に陥らないよう、釘を刺した。

 

世界的に領土や民族問題が燻り、軍備拡張機運が高まっている。日本でも集団的自衛権や自衛隊の海外派遣を認める安保法案が成立。防衛費が増え続け、武器輸出3原則も緩和された。このままでは「不戦の100年」が危うくなるのでは、との危機感が宇治さんの脳裏をよぎるようだ。

 

◆ジャーナリズム本来の「理念」

 

今世界は、パリでの連続テロをはじめIS(イスラム国)などの残忍極まりないテロが横行、「新たな戦争」(オランド仏首相)が勃発したかのようである。主要国が「有志連合」を結成し大規模空爆を繰り返しているが、「テロの根源には貧しさとか格差がある。日本は来年伊勢志摩サミットもあり大変だとは思うが、貧しさにどう取り組んでいくか、日本もこの面でもっと協力すべきだ」と語った。

 

「少子高齢化」から「子どもの貧困」「地方の衰退」まで、多くの厳しい課題にも言及。権力におもねることなく時の政権をチェックし民衆の側に立つ、というジャーナリズム本来の「理念」も再三強調され、若い記者たちへの警世の呼びかけの趣があった。


ゲスト / Guest

  • 宇治敏彦 / Toshihiko Uji

    日本 / Japan

    中日新聞相談役 / Adviser, Chunichi Shimbun

研究テーマ:戦後70年 語る・問う

研究会回数:39

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