2015年06月03日 18:30 〜 20:00 10階ホール
2015年度日本記者クラブ賞受賞記念講演会 読売新聞・竹内政明さん、南海放送・伊東英朗さん

会見メモ

2015年度の日本記者クラブ賞を受賞した竹内政明・読売新聞論説委員(読売新聞朝刊コラム「編集手帳」)と、特別賞を受賞した南海放送「X年後」制作グループを代表して伊東英朗氏が講演し、会場からの質問にも答えた。約200人が参加した。
受賞理由、歴代受賞者


会見リポート

「日の当たらぬ人に」竹内氏 「核汚染、聞いて」伊東氏 

村野 坦 (朝日新聞出身)

今年度の日本記者クラブ賞を受賞した読売新聞1面コラム「編集手帳」の執筆者・竹内政明さんと、太平洋核実験による漁船被曝の調査報道で同特別賞を受けた南海放送(愛媛県)のディレクター・伊東英朗さんの受賞記念講演会が6月3日夕、プレスセンター10階ホールで開かれた。市民を交えた参加者に両氏は、こもごも執筆の心構えを語り、核汚染への警鐘を鳴らした。

 

「しゃべるのは苦手、伊東さんの前座のつもりで」と切り出した竹内氏は「編集手帳」そのままの語り口でエピソードを引いて話した。「へそ曲がり」だから「勝った人より負けた人に、幸せな人より日の当たらない人に、より多く言葉をかけたい」と昨年のソチ冬季五輪では優勝した羽生結弦選手ではなく、メダルを逃した浅田真央、高梨沙羅両選手を取り上げたことなどを挙げた。

 

一般記事とコラムの違いを俳句と短歌の違いに例え、コラムは短歌と同じで事実に加え何を思ったかを書く苦労がある、と明かし「悲しいことばかりだった東日本大震災のことを書いた疲れが、まだ残る」。そして「受賞のご褒美に少しお休みをいただければ」と続け笑いを誘った。

 

今の職歴は前職の幼稚園教諭より短く「まだ青二才」という伊東氏は、まず「みなさんの力でぜひ解決を」と核被曝調査への協力を呼びかけた。1954年、太平洋での米国の水爆実験で焼津市の第五福竜丸が死の灰を浴びたが、被曝は高知県のマグロ漁船にも及んでいたことを2004年にネット検索中に知り、高知に足を運び事実を発掘するドキュメンタリー番組を作った。「越境取材」の難しさ、未明の時間帯しか放送枠が与えられなかったことなど、ぶつかった壁の厚さを語った。

 

米国の資料から60年前の放射性降下物の汚染が日本全国に及んでいる可能性を知り、加えて3・11福島原発事故が起きた。「この事件のことを聞いてくれ、聞け、と言い続けたい」と叫ぶように結んだ。

 

講演を聞いて参加者4人が質問の手を挙げ、両氏が答えた。14年間、筆を執り続ける竹内氏と10年間、核被曝を追ってきた伊東氏。手法は違っても、ともにジャーナリズムが果たす使命に懸ける二人への共感が会場に広がる夕べだった。


ゲスト / Guest

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