2015年04月01日 18:00 〜 19:55 10階ホール
試写会「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」

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会見リポート

激変した世界 現代人へのメッセージ 製作から41年目に日本初公開

北畠 霞 (元毎日新聞サイゴン特派員)

なんと懐かしいシーンが収められたドキュメンタリー映画なのだろう。1965年夏、米海兵隊員が中部ベトナムの村で、わらの屋根にライターで火をつけて〝ベトコン〟の農家を焼く記事はサイゴン(現ホーチミン)で執筆した。ベトナム戦争に参加した帰還兵の反戦デモで、ワシントンの議事堂に勲章を投げ返すシーンは、71年4月、現場で取材し写真も撮っている。

 

「ハーツ・アンド・マインズ」はベトナム戦争終結の1年前、74年に製作された。私にとってこの映画は、歴史のねじを半世紀近くも巻き戻してくれるものだ。21世紀の今、このベトナム反戦映画が長い期間を経て日本でほとんど初めてといってもいい形で上映される意義は、どこにあるのだろう。

 

1950年代終わりごろから南ベトナムの農村でゲリラ戦として始まったこの戦争は、米軍の軍事顧問の参加、60年代半ばからの大規模な米戦闘部隊の派遣、そして激しい北ベトナム爆撃という形で推移した。正規軍と正規軍が戦う第2次世界大戦や朝鮮戦争とは異なるゲリラ戦を強いられた米国は、さまざまな実験を試みた。映画の題になっている「ハーツ・アンド・マインズ」のハーツは「情緒的な心」であり、マインズは「理性的な心」を指す。

 

静かに農作業する農民、そこに不意に現れる米兵。米国はこの農民の心をつかめるのだろうか、と問いかける形で、この映画は始まる。映画の中でジョンソン米大統領もベトナム人の「ハーツ・アンド・マインズ」をつかまねば、この戦争には勝てないと述べている。

 

映画は政府系、反戦系双方の多くの人物のコメントと映像から、結局は農民の心をつかむ日が来ることはなかったことを、そうとは言わずに雄弁に結論づけている。

 

このドキュメンタリーが製作された74年は、米戦闘部隊がベトナムから去り、いわゆる「ベトナム化」政策で主役を南ベトナム政府軍に委ねた後である。その結果、南ベトナム政府側が北ベトナムと南ベトナム解放戦線に勝つ見込みが消えつつある時期だった。

 

この映画がアカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したのは、サイゴンが陥落した75年であり、それから40年が経過した。この間、世界は大きく変わり、米ソの冷戦構造は崩壊し、南シナ海での中国との対立からベトナムは米国との関係を強めつつある。この4月には両国外交関係樹立20周年も記念して、米国の沿岸戦闘艦フォートワース(艦長はベトナム系米人)がダナン港を訪れている。

 

目を少しベトナムから転ずれば、米国が関わるようになった戦争の現場は主に中東・北アフリカに移った。イラク、アフガニスタンなどの戦争で、米国の戦いはよりハイテク化、無人化し「ハーツ・アンド・マインズ」が呪文のように繰り返される時代ではなくなった。この40年で地政学的状況や、戦争の形、戦争取材の形も大きく変わった。そのことにあらためて思いをいたすことも、この映画が今、上映される意義の一つだろう。

 

さて、今年もベトナムは4月30日のサイゴン陥落、統一実現40周年を盛大に祝った。「統一会堂」と名づけられている旧南ベトナム大統領官邸前の広場は、3月からライトアップされ、40周年の行事が華々しく行われた。30歳以下の若い人が全人口の半分以上を占めるベトナムでは、この日がかつて世界の耳目を集めた戦争を、若い人たちにも思い起こさせる極めて貴重な日となっているのではないだろうか。


ゲスト / Guest

  • 「ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実」

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